「グローバリズム出づる処の殺人者より」


アラヴィンド・アディガの処女作にして2008年度ブッカー賞受賞作品、という話題作。
先月号の「ミステリ・マガジン」で三橋暁さんが推していたのと、グローバリズム出づる処、インド、バンガロール。ひとりの起業家が、書を民主主義が没する処の天子温家宝に致す。「拝啓中国首相殿、あなたに真の起業家精神を教えましょう。主人を殺して成功した、このわたしの物語を」IT産業の中心地から送った中国首相への手紙は殺人の告白であった―。」というキャッチに惹かれて読んでみましたが、とりあえずこれは推理小説ではありませんでした(途中までずっと推理小説だとばっかり思っていたんだよ)。
分類したらピカレスクに入るかなぁ。とはいえもちろん純文学でもあるわけで、さすがブッカー賞受賞作といったところ。
とにかく物語の運びが巧い。最初からこういう話だと「あらすじ」を知らされていたら絶対読んでみようとは思わない(それほど食指が動かない)話なのに、ぐいぐい引き込まれました。
温家宝首相宛ての書簡という形でモノローグのように語られてゆく、という方法もとても読みやすく、世界に入りやすいです。


舞台はグローバリズム華やかなる現在のインド。
BRICsともてはやされている最近のインドには、起業家やトレーダーが活発に動いているようなイメージがあります。
IT企業にショッピングモールに豪華なホテル…最近では「ボリウッド」なんて言葉も聞くようになって活気づいているといった印象があり、もはやガンジス川に死体が浮いてたり路上で餓死者が放置されていたりというイメージからは遠くなっていました(私の勝手な想像では)。
でも、華やかな発展の裏側には今でも根強く究極の格差社会が存在しているのだということを、この物語は教えてくれます。
いやというほど、切々と。
カースト制に縛られ奴隷として飼いならされた主人公・バルラムは言います。
「この国が発明した最大のもの、それは”鶏籠”だ」
鶏籠とはカースト制に縛られて奴隷として飼いならされたこの国の大多数の労働者階級がいる場所および彼らの「心の状態」を言っています。
理不尽な人生に甘んじ、諦めきり、骨の髄まで奴隷として無自覚に生きる人々。
格差とは、現象としての状況だけでなく、そこに属する人間の自覚にも深く根付いてゆくものなのです。


インドの現実、すさまじい格差社会の描写を読んでいると、日本の「格差」って?という気分になります。
いや、それはそれで深刻なのだと思うけれど、たぶん、方向がまるで違う。(よってその解決法も)
グローバリズムにつきものの「自己責任」という言葉のもつ意味もインドと日本では全く違う。
ガチガチに格差社会であるカースト制下のインドでは、途切れない輪廻から抜け出すには思い切ったやり方(ここでは「殺人」)で飛び出すしかない(とこの小説では暗に言っている)。
「まとも」になるには、光あるところに出て人間らしい生活を得るには、「殺人」という過激な方法に頼らねばならないほど、超えられないほど高く危険で不道徳なハードルが存在していて…逆に言えば、この「鶏籠」の中からは基本的に出られやしないのだという現実をシニカルに示しています。
それがインドだと。
これをどう思いますか?世界の皆さん…と、作者はエンタメの形で提示しています。
あくまでもエンタメの筆調を崩さずに、社会の闇をさらしてみせている。


原題は「The White Tiger」(「ホワイト・タイガー」とは主人公が自分を名乗るときに使う通称です)。
このままだとインパクト弱くて手に取らなかったかもしれない。
邦題は秀逸ですね。グッと惹かれます。