「北辰斜にさすところ」


ここんとこちょっと旧制高等学校に関する本を読んだり資料を集めたりしているのですが、その一環で神山征二郎監督のこの作品を観ました。

北辰斜にさすところ [DVD]

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映画の手法としては、いろんな部分(構成が悪いとか、そのセリフはヘンだとか・・・)で気になりましたが、観終えた時には胸打たれる思いでした。なんというか、ドラマを超えて伝わるものがあります。史実に重なる部分で。
実際の出来事には否応なしに強みがあります。


憧れの七高(今の鹿児島大学)に入学した主人公が、そこで尊敬する先輩に出会い、深い絆でつながった仲間たちと過ごし、素晴らしい教授の指導を受けながら珠玉の青春を過ごします。
が、卒業後まもなく、彼らは激化しつつある戦線に送られることになります。
何人もの友が戦場で散ります。南方の激戦地で、あるいは特攻隊として。
主人公は軍医として従軍し、戦地で心に深い傷を負います。自己否定につながる、苦しいトラウマを抱えてしまうのです。
やがて戦争は終わり、幾年もが過ぎ、主人公は老境に達します(この老境の主人公を三國連太郎が演じていますが、ものすごく巧いです!なんかもう、スゴイなぁ・・・とため息が出るほど。目の中の光一つで語る力を持っているのですよね・・・)。
老人になった主人公の元に久しぶりの同窓会の話が舞い込みます。いったんは出席を断ったものの、ある事件がきっかけで結局、同窓会に足を運ぶのですが、その地で彼は、トラウマとなって長いこと彼の心を苦しめていた「ある記憶」を慰撫するかのような懐かしい幻影に出会うのです。


・・・端折りすぎですが、ストーリーの流れはこんな感じです。
若き日に太平洋戦争に巻き込まれた世代の、青春の輝きと老境のせつなさ。
青春と老境の間にはものすごい暴力としての戦争が厳然としてあり、その傷痕は生涯かかっても癒えることはないのです。
けれど、癒えない傷の向こう側には、けっして褪せない青春の輝きもまた存在する。
その「光」と「闇」の対比がなんとも言えず、苦しいのです。光を思えば、闇も同時についてくる。闇を思えば、光を思い出す。
加えて、彼らは失われてゆく人生と対峙する世代なので、現状の老いの寂しさも同時に描かれます。
けれどここには想いを受け継ぐかのような孫(=新しい世代)の存在というものが、大いなる救いとなって現れます。
闇に光がついてまわるように、悲しみには喜びもついてまわります。
まさに「人生は綾織り」、というか。喜びも悲しみも、全力でそこにあるという作品でした。


思うのは、やはり戦争の愚かさです。そこに終始します。
戦争は人間の存在を根底から否定するものだなぁ・・・と、あらためて感じます。
いつの世も、政治が人を苦しめるんですよね。馬鹿な政治家が国を動かすと、こんな馬鹿なことが平気で行われる。
前途ある若者たちが、いとも簡単に鉄砲の弾のように消費されるなどという想像を絶することが、つい何年か前に実際この国で行われていたのです。
なにもかも政治が全てです。そして政治は、私たち自身の問題でもある。
特に若い人たちは自覚しないと。自分たちの将来を握っているのは政治家たちなんだということを。馬鹿な人たちの馬鹿な判断で人生が狂うということを。
そんなことを思いました。ある種の無力感と共に。
ホント、政治のことを考えることほど自分の無力を感じることは無いんですけどね。考えたところで何ができるわけでもなくストレスが溜まるばかりで。


旧制高校に対する興味は昔からありました。
高校生の頃から一高や三高などの有名な寮歌なんかは歌えたし、「ダウンタウンヒーローズ」という山田洋次監督の作品がすごく好きで何度も観ました。(この作品の中には山田洋次監督の価値観がよく表れていると思います)
あ、ちなみに「北辰斜にさすところ」とは七高の寮歌「北辰斜に」の歌いだし部分です。壮大な、とてもいい詞です。
寮歌で一番好きなのは、なんといっても「北帰行」ですかね。
ちなみにこんな歌ですよ。
この歌の元が寮歌(旅順高校の愛唱歌)だと知ったときにはすごくビックリしました。


あの戦前のエリート学生たちのいた独特の世界にはたくさんの魅力があります。
こういう特殊な閉じられた世界が好きなのは、自分が別学出身だからというのが大きいかもしれない。
自分自身、古い時代の女学校の匂いを抱えてるんですよね。男子校との距離感とかも含め。そしてそれを懐かしく感じている。
時代は違うけれど、旧制高校の話は私の中のノスタルジーをも刺激するということなのかもしれません。
でも私はどこかでそこからドロップアウトしてゆくことにロマンを感じてもいるんですよね。そういう幻想が、今度は全共闘世代の学生たちへのシンパシーとなって現れるのかな?と感じたりもします。
そして私の本質的な傾向はさらにそこからも逸脱します。
集団にはそれがいかなるものでも必ず違和感があり、対人においても同様で、最終的にどうしても私は「個」に向かうわけですが、そうなってゆくと、やがて「個」はそれだけでは「個」であることさえ認識できない、という場所にたどり着くわけです。そしてまた憧れのように、集団あるいは対人の中にある自分というものを想ったりするのです。
馴染むことなどないと思いながらも、またそこに幻想を見出しそして再びドロップアウトしてゆく。そういうところをグルグルしている感じです。
それが全般にわたっての私の傾向で・・・たとえてみればトニオ・クレーゲル的なんですが、それもあまりにエラそうな(というか、うぬぼれ臭がする)枠組みであって、馴染めません。
芸術家にも市民にもなれない自分、というものを愛しく思ったり葛藤したりしながら、自分が何者なのかいまだにわかりません。わからないまま歳だけとってしまっています。
せめて自分の好きなイメージのありかを探ってゆけば、自分のことがきっと見えてくるようにも思い、さまざまなピースを集めてはみるのですが・・・まだまだ実体には辿り着けません。
これも私の好きなものの一つ、だということを確認するのみです。
・・・って、映画の感想からトンデモな方向に話がイッテしまいました(大汗)。


こちら、予告編です。


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