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これぞフォークの魂なり!

music

ごあいさつ

ごあいさつ


高田渡のファーストアルバム「ごあいさつ」を聴いてみました。初めて。
今まで高田渡の歌は「自転車にのって」と「自衛隊へ入ろう」くらいしか知らなかったのですが、アルバム聴いてしみじみと思いましたね。
いやー・・・・凄い。すごく好きだなぁ、と。
なんかもう、じんわりとじわじわと嬉しいんです。聴いているとほわんとした気分になる。
そして今まで知らなかった世界がちょっとだけ見えて、その向こうに広がっている寂しさやせつなさを教えられ、なんかいろいろ物思う。物思うことでまた一つ、狭い私の世界がちょっと広がる・・・って気がする。
ゆる〜く、でも、がっつりと心掴まれる詩。自然と体を揺すられる体液に合ったリズム。素晴らしい。
とにかくもうずーっと「コーヒーブルース」が頭の中にグールグール回っちゃって、気がつくと「さんじょ〜へいかなくちゃー♪」って歌ってる。
ホントに気に入っちゃった。
「いかなくちゃー」の「ちゃー」の部分が鳥肌たつくらい好きです。
どんな曲かというと、こんな↓曲です。坂崎師匠とのコラボです。最高!
あ〜イノダに行きたいー。



私の好きなフォークの条件っていうのの一つとして、上手く言えませんが「メジャーコードでリズミカル」ってな感じ・・・というのが確固たるものとしてあるのです。で、高田渡のチャームポイントはまさにそこなのです。明るくのほほんと歌っている。
(アメリカの移動労働者の間で歌われた)ホーボーソングの精神が根底にあるような・・・カントリーとブルースとフォークロアの混ざった感じとでもいうのかなぁ・・・とにかく私はそんなメロディラインがとても好きで、だから高田渡の音楽は、もともと好きなタイプの音楽だったのです。
でも、それだけではない魅力がある。それは歌詞です。*1
意味深い詩を軽やかに洒脱にさらっと歌ってしまうダンディズム。これが最強。
自作の詩だけでなく、多くの現代詩人の詩を歌っているのも高田渡の特徴らしいですが、中でも山之口貘(やまのくち ばく)の詩が特に多くて印象的です。
このアルバムの中でも「年輪・歯車」「鮪に鰯」「結婚」「生活の柄」と4曲入っています。
どれも哀しみを感じる詩なのになぜか明るい色彩に包まれている。
高田渡によってあっけらかんとしたメロディーで歌われると、これらの詩がさらに生きるような気がします。
一度聞いただけではそれとはわからない強烈な反戦歌も印象的。
種明かしを読んで「あ、これはそういうことを歌っていたのか!」と気づいたときの戦慄。
いやー、深いですよ。
高田渡は声高で何かを主張したりはしない。しかも完全なるヨッパライだ。フラフラだし、ある意味弱い。
でも静かに強烈なる共感をもって詩の世界を歌う。だからこそ凄みがあるのですよね。生活者の冷静な目線。ごく普通の日常への限りない愛おしさを感じる心。無常であることへの根源的な寂しさ。
このアルバムを聞きながら、今、自伝(「バーボン・ストリート・ブルース」)を読んでいる最中なのだけど、高田さんってのはとても思索的に言葉や音楽に向き合っている人で、音楽という以上に文学的な感性が鋭いんだな、という気がします。いわば「文学的音楽」なのです。


とにかく、凄い人。
こんな偉大なミュージシャンを知らず、今まで無関心でいたことがなんとも情けなく残念です。惜しいことをしました。
没後に気づくなんて最悪です。ああ、本当に酷い。もうこの世界にいないなんて(涙)。
モノを知らないというのはツマラナイことですよ。
無知というもののなにが一番ダメなところか、っていったらそこだね。
モノを知らないと恥ずかしいとか、他人から軽んじられるとか、そういうことじゃない。ツマラナイんですよ。なによりも自分がね。
そんなことをフト思い・・・フト眼を閉じたりしてみるわけさ。


ちなみにこのファーストアルバム、参加ミュージシャンは、はっぴいえんど細野晴臣松本隆鈴木茂大瀧詠一)、中川イサト加川良遠藤賢司矢野顕子などなど、若き大物が勢ぞろいです。音楽傾向全然違う方たちですよwある意味スゴイ。
ジャケット・デザインは湯村輝彦
1971年。夜明けの時代に出たアルバム、という感じですね。

*1:音楽に言葉は要らないと思っている向きとしては歌詞に左右される音楽とはいかなるものか?と思うでしょうが、私個人のとらえ方としましては、フォークは音楽であると同時に文学でもあり、思想でもあるので、純粋音楽(たとえばクラシックとか)とは機能が違うのです。同じ食べ物でもパンと魚くらい違います。役割が違う。クラシックを聴きながらフォークも聴く、ってのは要するに違う場所で聴いてるんだと思います自分なりに。