黄金週間(その3)〜ぶらり早稲田大学へ

雨上がりを待って、久しぶりに早稲田に行ってみようか、ってことになりました。
こちらに書いた私がかつて住んでいたアパートのその後がずっと気になっていて、それを確かめたかったというのもあって。
まだ残っているのかどうか、もし残っているのだったら写真を撮っておかなくちゃ、と。
旦那にとっては久しぶり(18年ぶりくらい?)の母校再訪です。*1ここはとくに用がない限り、何かのついでのようにフラッと立ち寄ったりしにくい場所ですからね。


東西線を降りて夏目坂の表示を見るなり懐かしさがこみあげてきます。
私が上京後初めて住んだところはこの夏目坂をずーっと上がっていった寺町の奥でした。
ここは夏になるとヒキガエルが大量発生して、門から玄関に行くまでカエルをぴょんぴょんまたいでいかないとたどり着けない!というwかなり不気味な下宿でした。(悲惨にも踏んじゃったこともある!だって暗くてよく見えなかったんだもん(涙))
その後、件の早稲田校門脇の3畳アパートに越すのですが、そこに越すときにもカレシ*2に手伝ってもらって家財道具を担いで歩いて運んでいきました。
二人で布団を抱えて夏目坂を下っていった夏の夕暮れを今でも覚えています。
まだ10代の私にとって、この街は夕暮れさえも心トキメク場所でした。


昔話に夢中になって、あれが懐かしいこれが変わったなどと話しながら馬場下を曲がった途端…絶句
なんとまぁ、激変ではないですか!
なんだろう、このコジャレっぷりは?雑然としていてバンカラな魅力のあった街並みはもはやどこにも見当たりません。
石畳の歩道、立派な記念館、正門前には広場、オブジェ、大隈講堂の裏にはキレイなホテル。
何よりも、ビラだのゴミだの立て看板だのの昔はあったはずのゴチャっとしたものが何もないんですよ!
ここはどこ??てな感じ。
かつての風景は一変しておりました。
つまらないねぇ。
つまらないなんて言っちゃ、今の学生たちに申し訳ないか。街も生き物ですから、そりゃ変わるよね。嘆くのはお門違いか。それにしてもなぁ。



なんか、ビミョーにキレイになってる気がする大隈講堂。



なんか、ビミョーに位置が変わってる気がする重信さん。

構内の建物もどれもなんだかキレイになってるんですよね。
政治経済学部は変わらないようだったけれど、法学部の建物は建て変わっていたなぁ。
昔の図書館だったところに會津八一記念博物館の表示があるのにもびっくり。
なにより驚いたのは昔、各種サークルの部室が集まってていつも賑やかだった4号館が、政経学部の研究室となっていてひっそりと目立たない存在になっていたことです!
ここには旦那の所属サークルの部室があったんですよ。彼は授業も受けずにここに入り浸りだった。私もよく遊びに行きました。てか、とにかく伝説のサークルがここに集まってたんで、なんか面白い場所だったんですよ。
その昔、義父の時代にはここは学生運動のアジトのようなところで、地下室(80年代当時はもう閉まってたと思う)に集まっては議論していたという話でしたし。
4号館ってのはそういった、学生の「課外活動(っていうと聞こえがいいが)」の溜まり場という歴史が続いていた場所らしいんですよね。*3それが今はビラひとつ貼っていないキレイな建物となり、ひっそりと「研究室」と記されている。
あの賑わいも幻のように消えてしまいました。
彼らはどこにいってしまったのだろう?
学外の私でさえ寂しい気がするんですから、あの頃を知る卒業生の思いは複雑でしょうね。*4


さて、4号館から東門を抜けて大隈庭園沿いに歩いてゆくと、私がかつて住んでいたアパートのある場所に出ます。
ああ…ドキドキ。
大学周辺のこの変わりようから察するに、あの建物がいまだにあるとは思えないけれど…でも、もしあったら…あったら嬉しいなぁ。
どうか、残っていますように!
…と、歩いていって、着いた場所は…



見事にぺんぺん草の生えた空き地となっておりました(哀)。
わかってはいたのだけれど、しみじみとした気持ちになっちゃいますね。
もう少し早くここに来ていたら、あるいは懐かしい建物に会えたかもしれない。
でも、だから何?という気もする。
大事なのは、あの時の記憶であり、あの時の思いだ。
目の前の何が変わろうとも、自分の中で変わらないものはいくらでもある。
すべては失われてゆくけれども、それに負けずにいろいろなものを作り出せる存在でありたい…というようなことを、強く感じました。
うん、むしろ元気をもらいましたよ!
諸行無常
それはポッカリと何もない青い空を見るような気持ちのよさでもある。
存在の主体が「場」でなく私の記憶にしかないことがわかって、かえってすっきりしました。



窓を開けると、目の前に大隈講堂の時計盤が見えた。
窓の下の屋根にはいつも野良猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
雨戸にはりついたヤモリの柔らかい腹。
タイルの共同台所ではいつもインスタントラーメンの匂いがしていて、日がな階下の雀荘から牌をかき回す音が聞こえていた。
向かいの部屋の出稼ぎのお婆さんが話す低い声。
隣の部屋の中国人の女の子にもらった上海製のハンドクリームの匂い。
薄暗い細い階段を上った時の、物干し台のまぶしさ。
壁にいくつも貼ったデ・ニーロの写真。
寝転んで空を眺めながら聴いたチェット・ベイカー
小さくて暖かい、私のお城。
19歳の、夢いっぱいの私。


もはや、あの建物は記憶の中にしか存在しません。
人生は夢のよう。

*1:私はここの卒業生じゃないですけどね。住んでただけ。ここから地下鉄で二つ先の飯田橋にある法政大の学生だったんだけど、飯田橋より早稲田や高田馬場で遊んだりバイトしたりしてました。いわば「庭」でしたね。

*2:って、旦那ですけどね。人間関係がえらくシンプルなのだ

*3:私は4号館しか出入りしていなかったからわからなかったけれど、早稲田にはあらゆるところに地下部室が存在してそれぞれ熱心に活動していたのだそうです。近年、それらはすべて「教育活動と課外活動の分離」とかいう大学構想の下に残らず撤廃されたのだそうです。

*4:早稲田だけじゃなく、もっと学生自治に血道をあげていたわが母校も同じようなヘタレ状況らしいです。学生会館も取り壊されたし。ウチとこは早稲田と違ってそれくらいしか取り柄がない大学だってのに卒業以来行ってないけど、沿線から見えるのでアホっぽいボアソは嫌でも目に入って萎え