物語のゆくえ

HP映画に行ったせいで、ヒマもないはずなのにお気に入りHP二次サイトばかりに通いつめてしまってます(汗)。
ああ…
(力を込めて)二次ってなんて楽しいのだろうっ!!
私の好きなのは以前から力説しているロンハー(ロンとハー子さんのラブモノね)と、親世代モノ。
親世代では特にヤヲイではない程度の犬狼とか狼犬とか(シリルともルシリとも言う)、ジェセブ、スネルあたりですかね…って呪文みたいでわからん人にはなにもわからんですね。
こういうの読んでると、ホントもうワクワクしちゃって、そこらで売ってる「普通の」小説なんて、つまんなくね?っていう気分になる。
マズイねぇ(笑)。
そう思う自分のチャラさはわかってますよ。
でも、本当に二次に夢中になってるなんてくだらないのか?
こんなに楽しいのに?
こういう「萌え」は、不健全なのか?


物語の幸福とは、本当はこうして他者から「いじられ」続けてゆくことなのではないか?と実は私はひそかに思っています。
我が国の小説の始めが「源氏物語」だとしたら、まさにそれは当てはまる。
あんな偉大なるキャラ萌え小説ってないですからね。
あまたの二次モノが書かれ続け、多くの者たちの萌え心が絡み合い溶け合い、名作にさらなる楽しみを添え続けてきたに違いないのですから。


もし私が物語を創る人になれるとしたら、一番の憧れは「二次小説をたくさん書いてもらえるような物語を書けるようになる」ことです。
とにかくそれを読むのを想像しただけで悶絶モノです。
自分の作ったキャラが違う物語の中で生きてるのを見られるなんて、すごいと思いませんか?絶対読みたいよー。(あーでも、ブラックなのはイヤですけどね。あくまでも萌え、でないとね!)
しかもそういうのを作る子たちは、どういう形にせよその世界を愛してくれていて、創作意欲を掻き立てられて、登場人物やストーリーをいじりまわす事を楽しんでるわけですよ。そんな深い楽しみ方ってないでしょ。最高でしょう?
そういうアングラなウケ方ができたら作者として本望だろうなぁ。
ナントカ賞とか権威とかカネとか別に何もいらんけど、創作するなら誰かの創作意欲を掻き立てられるようなものを作りたいなぁといつも思う。


二次の世界にも最近は夢小説(ドリーム、とも呼ばれる。キャラの相手を自分(の名前)に変えながら読める妄想小説のこと。つまり、主人公が小説のキャラと自分、になる)ってのが盛況なんだけど、これは私、全く読む気にならないのですよ。
物語の世界に自分を入れる、という、そういう精神性はゼロですね。
全くシンジラレない。だって自分には萌えないもん!
フッ…と思うに、ドリームが好きな子って、明星を追っかけるタイプなんじゃないかな。
対象(スターとか物語の主人公とか)と自分が同じ次元にいる。自分が彼の彼女になったり、触れ合ったり、キスしたりできたらステキ!と思ってるのでは?
私にはその感覚はないんですよね。自分が出てったら台無しでしょうが。
そういう差、かな、と。