「推し」の違和感

ブログに書くネタが無いので、はてなブログのお題ってのを借りてみようと思ったら、特別お題キャンペーンで「わたしの推し」ってのが開催されていました。
「推し」。
実は私、この言葉が苦手です。
言葉の定義で言えば、私の「推し」は阿嶽ですが、彼のことを「推し」とは呼びたくない。「大好きなスター」という意味は同じはずなのに、この言葉を使う気にはならないのです。
ファンである相手のことを「推し」と言う人が出てきたのは、私が明星迷ではなくなってからのことです。2010年くらいまではこんな言葉は無かった。
今で言う「推し」のことを、当時はなんて言ってたのだろう?「ファン」が一般的だったのかな。私は明星迷だったから、「迷」か。
ん?でも「ファン」にしろ「迷」にしろ、好きなスター自身のことを言うのではなくて、こちら側(つまり私)のことを言う言葉なのよね。阿嶽本人は私のことを指して「歌迷」と言ってた。「迷」とは、私のことなんですよ。
「わたしはあなたのファン(迷)」っていう場合、「ファン(迷)」が指すのは「私」
「あなたはわたしの推し」っていう場合、「推し」が指すのは「あなた」
つまり以前だったら、「(私の)好きな人」というべきところの存在を、「推し」という言葉で表現しているわけです。
これってすごい画期的な事じゃないですか?
かつて阿嶽のことを、他の人に伝える時、どう言っていいのかわからなかったんですよ。
「わたしの好きな人」「贔屓さん」「心の恋人」「私、このひとのファン(迷)なの」……いろんな表現をしてきたけど、その存在を象徴する確固とした呼び名は無かった。どれも微妙に違っていて、なんだか収まりが悪いような気もしていた。
でも、その「呼び名がない」存在であることが、私の中では大事だったのだなぁと、「推し」という言葉を聞くようになってから思うようになったのです。
私の、阿嶽への想いは一般的な代名詞に変換できない。
「推し」とは呼びたくないのです。そんな言葉では、括れない(……なんて言うと、妙に意固地な感じだけどw意志というより感覚で、そう思うんですよ)
それほどこだわりのない、ただ手放しで好きと言えるファンである対象に関しては、わりとすんなり「推し」って言えるんですけどね。例えば私にとっての偉仔とか。けど、厳密な意味ではそれは「推し」ではないのよね。だって「推し」は「イチオシ」のことなのだろうから。
というわけで、はてなブログのお題キャンペーンに参加できなかった、という話。