巣立ちの季節の前に

いろいろと悩み多き日々であります。
人生、新しいステージに入る時期に来ていて、そのことを考えただけで寂しくなってどうしたらいいのかわからなくなる。
もう数年もしないうちに子どもたちが家を出ていってしまう、というね…いよいよ巣立ちの時期の到来か?!…ということで、なんかもうショボショボとしております。
まだ、「…か?!」の段階だけれども、早晩「空の巣症候群」になるに決まってる己のことを憂い、鬱々としてしまうわけ。

家族の形が変わっていくことは、それはもう誰にとってもあたりまえのことです。
子どもの巣立ちは本来幸せな喜ぶべきことなのに、そう思えないのは親としてどうなんだ、と…そんなこたわかってるんですよ。わかってるけど曰く言い難く寂しいのだからいかんともしがたい。
私はかなり家族に依存してたから尚更なのかもしれない。自業自得ですが。

最近はもう、街で小さな子供を連れた若いお母さんを見るたびに羨ましくて涙が出そうになります。
「あなた今、世界一幸せなんですよ!」と心の中で羨望の声をかける。思わず「いいなぁ…」と声に出てしまうこともある。
私にはもうそんな甘やかな日々は戻ってこないのだ、と思うとセンチメンタルな思いで胸が詰まって苦しくなってくる。
更年期でシンドイところにもってきて、巣立ちに伴う家族の変化に耐えられる自信がない。それに加えて、どんどん老いてゆく両親のこと、自分の可能性が狭まってゆく感覚、それなのにいつまでも足らない能力、衰えてゆく体力、見えなくなってゆく視力、深まりゆく孤独、砂が落ちるようにとめどなく過ぎてゆく時間…更に今の世の中の不自由さや疫病への不安も相まって、今後の自分の姿がまるで掴めずにいます。

どうなってしまうの、私。
まさに五里霧中。

夢をもって希望をもって情熱をもって明るく楽しく生き生きと好奇心を湛えながら日々を過ごしていたいのに、そうできる自信がない。もう何もできない気がしてしまう。
目先の変化や自分以外の人間がどうするかということに振り回されない、確固とした自我をもっていたいのに、ちょっとしたことですぐに揺らいでグラグラになってしまう自分がホントに情けないです。
いい歳をして、あちこちに依存しまくってきたせいで、いつのまにか一人で立つ力が無くなってしまった。

こんな私だって、若い頃は人一倍自立心のあるタイプでした。
1人で何でもやってけちゃう、ちょっと危なっかしいくらいの元気に満ち溢れていた。
あの頃の私が今の私を見たら呆れるだろうなぁ。あまりの不甲斐なさに悲しくなっちゃうかも。
ママになる前、自分の名前を掲げていた頃の私は、どんなだったっけ?
ママである自分があんまりにも居心地が良くて、昔のことなんて忘れちゃった。
今さらそこに戻れと言われても、歩き方が全然わからない。見当がつかなくて途方に暮れてしまう。

とりあえず、今の自分にできることは個人の目標を立てて邁進すること以外にないような気がしています。
だからずっと棚上げしていた目標を引っ張り出してきてどうにかしようと思っているところです。
それも、「あと2年」というタイムリミットを設けて(ボクちゃんが家を出ていってしまうのが2年ちょっと後の大学進学時なのでね、そこに合わせてる)。
自分のやってることに自分が夢中になることができたらこんなショボショボした気持ちに打ち勝てるかもしれない。

…という心境の中で、昨日のエントリにもあるように、占い師の方に見てもらったってわけです。
もう先のことはわかっているし、そこに合わせて自分の気持ちを変えてゆくしかないのだから、占ってもらう意味もないな、と思いつつ。
ですが見事に今の現状を言い当てられて、俄然興味がわきました。2年後、という期間まで一致した。
私が闇夜に灯火を見たような気がしてもムリない。(チョロいと言ってくれるな)
まぁ、そんなわけで迷える私はもうこの際、占いで言われたことに”渡りに船”と乗っかって(なんかダメだったら全部「占いが外れた」せいにすりゃいいとして)、どうにか前を向いて歩こう!と決めたのです。
こんな勇ましいことを言ってても、またすぐに五里霧中に陥ってしまうでしょうが。ちょっとしたことでずぐにショボショボしちゃうんだからねぇ。
それでも、先を照らす希望の灯りを信じて頑張ろうと思います。
心の中に真の”緑の灯火”を再び灯せますように。

(緑の灯火)の意味はこの↓過去エントリで。

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