張震嶽「OK」


愛する人から、5年ぶりに届いた手紙を読みました。
穏やかな南の海の色をした便箋に書かれた懐かしい文字は、
なんだか育った海に帰りたがってる水族館の魚が静かな夜に見る夢みたいな、ちょっと心細い感じがした。
弱気になってる?
寂しくなってる?
優しくなってる?
でも大丈夫。
ちゃんと生きてるじゃん!
OK、OK、全然OK。
それでも便りをくれたキミの気持ちが、私はとっても嬉しくて、
もうそれだけで、じゅうぶんなんですよ。
いろんなことがあって、いくつもの別れを乗り越えて、
やんちゃな男の子はちょっと変わったみたいです。
男の子はいつのまにかオトナの男の人の面差しになっていて
波の音をバックに「人生」なんて語っちゃってます。
そんなところもまたたまらなくイトオシイのでした。



ってまぁ、阿嶽の新譜を聴いて、最初に思ったのがこんな感じのこと。
あのー。以下、「OK」の所感を書きますが…
非常に申しわけないんですけど、私の感想は私の妄想大爆発に基づいてますんで、違う印象を持った方がこのエントリ読んでも怒ったりしないでくださいよ。
こっちもバカな盲目ファンですのでね、もう、ほんっとに自分の張震嶽像を崩せないんですよ。
てか、自分の中の張震嶽(架空)と対話するのだけが楽しみなわけでさ。それが現実と違うつってもそんなん知らんわね。
5年ぶりで舞い上がってるせいか、もう、小説書けちゃうくらい爆発しちゃってます>妄想が。
ということをご理解ください。


このアルバムには、創作をする人間の苦悩、不信、懐疑、疲労、それでもモノを作らずにいられない人間の業が詰まってる気がします。
とんがってはいない。新しくもない。パンチも効いてない。
たぶん、一般的に期待されている張震嶽とは違っていると思います。
これが張震嶽!とは言いたくない。でも、これが張震嶽だ!と確信もしている。
(えーここのところの感覚を説明するのが難しいのですが、張震嶽を初めて聴く人には絶対に勧めないアルバムだけど、私はこれで満足してる、ってな感じのニュアンスです)
イメチェン?ともとれるけど、それは決してラディカルなものではない。
すごく後ろ向き。
後ろ向き、という言葉を使っちゃうとネガティブなイメージですが、そうではなくて…
なんて言ったらいいだろう?自分の領域にこもっちゃったかな、って感じ。
おどおどしている、という印象さえある。
毎回必ず新しいことをやってきた阿嶽が、今回は自分の手の内だけを見せてる。
アバンギャルドなものが何も出せなくて、だから初めてスーツなんか着て誤魔化してみたのか?ってな想像までしちゃう。
新譜の宣伝でTVなんかに出てるのを見ても、なんだか妙に軽い。軽くって、却ってオッサン臭くなってる。
気負いが無いなぁ、という感じがするんだよね。
でも、この何年か、彼にいろんなことがあったのを知ってるせいか、それも無理もないなって気がする。
今は、そうしていたいのでしょう。
そういうときだってある。人間だもの(by あいだみつお)。
阿嶽はたぶん、今は何も欲しくないんだろうな。
誰か優しい女の子と海辺の家に暮らして、裸で海を眺めながらギター弾いたり自転車乗ったりしていられればいいんじゃないんスか。
そんなヘロヘロな気持ちでありながらも、搾り出すようにして作ったのがきっとタイトルチューンの「OK」なんじゃないかなぁ。
これは渾身の作です。痛々しいってくらいに私は思えるね。
これを完璧にたった独りで作った(この曲は企画から演奏まで全部一人でやってる)阿嶽を、私は涙ナシに語れませんよ。
みんなの期待に応えようと、張震嶽張震嶽を必死でたぐり寄せている気がする。
で、彼の才能は、それをやれちゃうからスゴイ。
PVを見ればそれまた一目瞭然で、そこでは絵に描いたようにしっかりと張震嶽の仕事をしてる。
若いイケてない男の子たちを応援する気のいいアニキ。これはもう、不動に張震嶽のポジションでしょう。
このアルバムは「とりあえず元気だから大丈夫」と伝えようと作られたこの一曲(「OK」)のために作られたアルバムのような気さえします。
他の曲がダメってんじゃないですよ。
他の曲はね、”自分の領域”のものって感じなんですよ。プライベートな印象が拭えない。
だから、阿嶽のファンだったら好きになるだろうケド、初めて聴くヒトの心をとらえる力は無い気がする。
みんなイイ曲だし、私は好きだけど。私は彼のファンだから、甘いわな。
なんだか久しぶりに自分のところに阿嶽が帰って来てくれたような気がしてるしね。
私は個人的にこうした「閉じた」阿嶽の世界が好きなので、このアルバムは悪くないと思いますが、それでも「再見」別バージョンとかは、ありえないと思うよ。気ぃ抜けたことやってんのな、って、ちょっとだけ思う。
しつこいようですが私はそういう阿嶽も好きだけどね。でも、それじゃダメだろアンタ、ってのはある。
バンドを使っていないのも、なんというか、バンドという「他者」にさえ託せない、うまく伝えられないものすごくミニマムな感覚を抱えてる曲ばかりで、だから自分一人で自慰的に作らざるをえなかったんじゃないか?って気がします。
だからイイ、とも言えるんだけど、でもそう思うのは私が自作自演阿嶽のファンだからで…以下延々とループ。
ま、天才にも(天才だからこそ)長い夏休みも必要。ってことですかね。
明日も書きます。ジャケ写について、など(笑)。