「小さいおうち」

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見たいと思いつつ今まで見逃がしていた作品。
随分長いこと見逃したな(-_-;)

東北からやって来た女中のタキちゃん(黒木華)がやって来たのは、戦前~戦中の東京大森にあったモダンで可愛らしい赤いお屋根の小さなおうち。
そこには、いつも楽しそうな綺麗な奥様(松たか子)と、可愛い坊ちゃん、旦那様がいて。
旦那様はおもちゃ会社の重役さんで、しばしば会社の人たちが御呼ばれしてやってくる。
ある日、新しい部下の人がやって来て…その日から少しずつ、小さなおうちの中で何かが変わってゆく。

 

舞台となる場所や時代、登場人物、演じる人、ストーリー、音楽…どれも私の好みで、物語の中にどっぷり浸かり、そこに立ち会ったような気持ちになりました。
松たか子黒木華の2大女優さんは本当にドンピシャのキャスティング。もう、他には考えられないくらいの完璧な世界観が出来上がってました。

 

この時代の「秘密の恋」というのは、なんだか独特のいやらしさがあって、健全な山田洋次監督がそこをどう描くか興味深かったのですが、わりと正攻法で(でもとても上品に)描いていました。
久世光彦さんの向田邦子シリーズみたいなのを想像しちゃいがちですが(私はね、あれがもう大好物だったので!)、さすがにそこまでではなかった。
松たか子の雰囲気は十分に久世風味があって(淫靡で!)ドキドキしましたけどね!

 

奥様が不倫の恋に陥る相手が吉岡秀隆くんです。
実は見る前からここが一番の楽しみでした。
吉岡くんというのは不思議な俳優さんで、まったく色っぽくないのに、もの凄く色っぽいの。
矛盾してるよねw
「まったく色っぽくない」ってのは、彼はどうしても「(北の国からの)純」であり「(寅さんの)満男」だという意識が私の中にものすごくあって、大きくなっても頼りない子どものイメージが抜けきらないのです。
小さい時から継続して同じ役を(それも国民的作品で2つも!)演じてたのは、やはりそういう弊害がある。仕方がないことだけれど。
でも、いったん別の物語の中で別の人物になってうまく動き始めると、彼はたちまち色っぽくなる。
それはたぶん、見ている私の中に微かに残っている”頼りない子ども”のイメージが、大人の男の人となった彼との間に「ギャップ」を生んで、それがいい塩梅に作用しているようにも思うんですよ。
そうなるともう、そこらの最初から大人だった(?)男の人よりもずっと色っぽくなってしまうのです。
この作品での吉岡くんは、まさにそのパターンでした。
役の上でもどこか頼りない子どものような感性を抱えた芸術家肌の男の人でね。おもちゃ会社の他の社員たちのような、あるいは当時の多くの日本男児のような精神的にマッチョな男の人たちとは一線を画している。線が細くて、頭が良くて、優しくて、なにかとてもロマンティックなのです。
奥様が彼に恋をしたのはよくわかります。私も同じ立場だったらきっとすぐに好きになる。
てか、私、ああいう芸術家っぽい男の人にめちゃめちゃ弱いなぁってつくづく思うわ(汗)。

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女中のタキちゃんは、後年お婆さん(倍賞千恵子が演じている)になってから、この物語を”自伝”として孫の世代に託すのですが、そこで初めて当時の秘密の真相が明かされます(あえて語られるわけではなく、炙り出されてくるというか)。
この演出はちょっとドキッとする。
その「現代」のターンは構造上必要なのはわかるのだけれど、どうも好きになれなかった。
ブッキー(妻夫木君ね)と木村文乃が一緒に書店へ行ったり老人ホームへ行ったり…といったくだりには、殺伐とした気分になる。ブッキーは軽薄だし文乃のどこか”知ったか”な感じもいただけない。歳をとった坊ちゃん(米倉斉加年)も出てくる。何か寂しい。いろんなことが、しらっとして見えるというか。
過去の出来事が現代で明かされる。過去の登場人物のその後の在り方がわかる。といった謎解きであるのだけど、なにか土足で踏み込む感があって、そこがちょっと嫌いだ。
夢のような「小さなおうち」との比較として、現代の描写が殺風景でイージーになっているのか、それともそもそも人生は殺風景なのだが思い入れの如何でドラマティックかつセンチメンタルになるということが言いたいのか、そこらへんはよくわからない。


たぶん…人生の彩りというものは人の想いが作り上げるのだ。
そのことを倍賞千恵子と妻夫木君との通じなさ(そしてわずかに通じたりもする、実に不十分に。というもどかしさ)が表しているような気がした。セツナイ。
唯一、残された小さなおうちが描かれた一枚の絵だけが、オーパーツ(違う時代のものが紛れ込んだ)みたいに輝いて見えた。あの一枚の絵は、よかった。確かにあの家はあったのだと、救いのようで。


私が一番印象的だったシーンは…
シーン、というか、語りの中だけで語られているところだけど、後年タキちゃんが聞いた奥様の最後の様子、です。
奥様は「小さなおうち」の奥様として生き、その心に秘めた想いは永遠に語られることはない。
知っているのは残されたタキちゃんだけだ。知っているどころか…という、ね。

このあたりは「タイタニック」を見た後の感覚に似てる。誰にも知られていない、でも私だけが知っている、人生を変えるほどの存在。
タキちゃんはすごい重い荷物を抱えたまま、今はない夢のような時間から遠く置き去りにされた。
もうすべては時の彼方だ。時だけが経ってしまった。ものすごく長い時が。

 

人は、もしかしてほんとうのところなど誰にも知られることなく、書割の中で華やかに微笑んだり踊ったりしながら、やがて一人で去ってゆくものなのかもしれない。
生きることというのは、そういうものなのかも。
このセンチメンタルを、ささやかに、ロマンティックに、現実の中で描き切るのが実に山田監督だなぁ、と。これだから山田作品は良いなぁとしみじみ思うのです。

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