74回目の原爆忌

NHKスペシャルで新しく展示の変わった広島平和記念資料館の特集をやるというので、それをボクちゃんに見せよう、と思っていたのだけど、直前になって挫折しました。
こういうのを親に言われて見る、というのは…どうなんだろう?と、いつも感じてしまう。説教のようになってしまっては、ちょっと違うと思うので。
大事なこと、知っていて欲しいこと、深く心に刻んで欲しいこと、なのに情緒的に逆効果になってしまっては困る、という思いが心のどこかにある。
戦争教育をしたい(しなくちゃ)、という思いは親になったときから変わらずにあるのだけれど、ずっとその効果的な方法はわからないままです。
親子のコミュニケーションが希薄なわけではない。むしろ逆で、ウチはかなり親子間のコミュニケーションが活発です。いつもくだらないことをべちゃくちゃしゃべってる。だからむしろ急にまじめなトーンで戦争の話を切り出すことができない、というのもある。さらに私自身が戦争を知らないんだから。知らない人が知らない人に話す、ってお寒い状況になっている。
でも、たとえ戦争世代であっても、戦争を知らない世代に、戦争のことを話す、と言うのは一筋縄ではいかない。
切り口や、話す人の資質によるところも大きい。そこを間違えると単なる説教や恨み節や年寄りの愚痴になってしまう。なってしまってはいけない話題なのに、なってしまう。
なんでもかんでも体験者が話せばいいってわけでもないんですよね。これはとてもデリケートな案件なのだ。
お嬢が小学生の頃、学校の授業の一環で、近所のお年寄りが戦争を語る、という講義が何度かありました。でも、たいていの生徒は(うちの娘もそうだ)その授業に心を動かされてはいなかった。むしろどこか辟易している感じだった。戦争体験者側に「私たちはこんなに大変な思いをしたのに、今の子はまるで苦労を知らない」的な説教臭さを感じていた。

語り手の押しつけがましさや、話術の稚拙さなどが障害になって、本質がなかなか伝わりにくい状況になっているなーと感じましたね。逆効果かもしれないな、と思いました。
戦争の「ほんとう」を伝えるのは、至難の業なんだな、と。今後ますますそうなってゆくでしょう。そうして”風化”した頃にまた同じことが繰り返されてゆくのだとしたら?

なんだか怖いなぁ。
私たちの世代が今できることはいったい何なんでしょうね?


かつても同じようなことを感じていた私が書いた記事があったので再録しておきます。
昔、自分のHPに書いていた文章。
残しておきたいものも多いので、時折こうしてブログに載せていこうと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(2004年8月6日の記事再録)

 

原爆忌

 

今日の朝、娘(9歳)と話していて、彼女が広島に原爆が落とされた事は(かろうじて)知っていても、長崎の事は全然知らなかったことが判明、愕然とした。
広島の件に関しても、その悲惨さや実際にそこにいた人間の想いなどを記録したものを何も読んでいない(いくつか読み聞かせたものさえ覚えていない。教科書にも載っていたのに、ろくに印象的でないようす)。もうね、ほとんど「知識」として、年号しか知らないというていたらく。
これじゃ、親の教育がなってない、と言われても仕方がない。
情けなくなってしまった。

私はどこかで娘の世代を自分の世代とごっちゃにしていたのかもしれない。私が9歳の頃は、まだごく普通にあの戦争の残り香は身近にあった。別に、特別な「教育」など施されなくても、かつてあった戦争のことを、なんとなく知る環境だったというか。
TVなどでも8月にはいると必ず毎年、戦争の時代を振り返るような番組が繰り返し流された。
祖母や親たちの世代も、日常的に戦争の話をした。あたりまえの会話の中に、そういった「記憶の思い出話」があったんだよね。
8月といえば丁度お盆で、親戚が集まる機会も多い。そうなると「そういえば昔、○○の叔父さんが防空壕で・・・」とか、「シベリアからなかなか戻らないお父さんを待って・・・」とか、(私の祖父はシベリア抑留者でした。半身不随になって終戦の5年後に帰ってきた)「焼夷弾で納屋が燃えて・・・」なんていう話がごく普通に交わされたいた。
父母はよく、夜、寝しなに蚊帳の中で戦争のときの話をしてくれた。
戦時中は父母もまだ小学校にもあがらない幼さだったから、多くは祖父母の世代による体験を聞いたものを話してくれただけだったんだろうけど、「戦争を(ろくに)知らない子供たち」だった父母は、ある意味必死で、戦時体験を次代に伝えねばと思ってたフシがある。熱心だった。
70年代当時は、「戦争を知らない世代」などというのは引け目でもあったようなので。
だから、多くはベストセラーの戦争本のウケウリだったりもして、「特攻隊」「沖縄戦」「原爆」「東京大空襲」「引き揚げ」など、自分たちでさえ全然縁のない話ばかりだった。
けれど、その必死さは私の中でそれなりの「情緒」として根付いた。
おかげで、私は8月になるとちゃんと時計の時報のように戦争のあったことを思い出す。積乱雲の青空の中には消えてゆく特攻隊の姿を思い、沖縄のサトウキビ畑を見ると哀しい気分になったりするのが自然なことだったのだ。

親が子供に与える「教育」ってのは大事だし、それは財産となるだろうから無理してでもこういう歴史の話などは聞かせなくちゃ、と思うのだけれど・・・方法がわからない。
情けないけど、途方にくれてしまう。
ヘタをすると、単なる説教になりそうだし、暗い話に終始したら、聞いてる子供もやりきれない気持ちでうんざりするかも・・・。そうなったら逆効果だ、と思うとさらに動けなくなってしまう。
自分さえ知らない歴史を、どうやって伝えたらいいんだろう?
知識としてでなく、風景を合わせて伝えるのはすでにムリなんだろうけど、それでもその重みを伝えるにはどうしたらいいんだろう?
暑い8月がどんどん過ぎてゆくけれど、とにかく切り出し方さえわからずに、私は親として怠慢な放置を続けている。
私たちの世代はこういうのどうすりゃいいの?誰か教えてー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・