去る者は日日に疎し

昨年の夏に増田さんのロミジュリ舞台の熱狂とNEWSの愚痴を吐き出したくて勢いでTwitter始めたんですが、始めた時の熱狂は一瞬で過ぎ去り、年が変わる頃にはTwitterに関しても、増田さんに関してもまったく興味が持てなくなってしまいました。
Twitter、向いてなかった…
私にとってTwitterは明らかに文字数が足らない!
つまり、言いたいことは何も言えない。
言えないのに言おうとするから投稿した言葉はどこか気持ちと乖離しているし齟齬がある。
必ず、それはあるのでした。
そしてそれはかなりのストレスになった。
しかもなぜか書くことが愚痴ばっかりだった(汗)。
ツイッターって愚痴言うところ?みたいなとこから始まったのも悪かった(いわゆる「愚痴アカ」ってやつ)。
普段の私は鷹揚で、愚痴とかいうタイプじゃないからなおさら、不安になった。安直でくだらない人間になっちゃってるなぁ、って焦った。こんなはずじゃなかったのに、と。
言葉を尽くすことで心を伝えようとする…という行為を私はネットの世界の住人になってからずっとやってきていたのに。
この長文を読んでくれる人にだけ通じればいいや、という思い。
自分の感情や、好きなものに対する情熱を簡単に一言で済ませたくないという思い。そういうのを大事にしたいなとしみじみ思った。
かといってブログに戻るにもなかなか時間がかかった。
なんというか…ブログに何書いたらいいのかわかんなくなっちゃって。
それまでは自分の人生の記録だ、くらいにテキトーに書いてたんだけど、Twitterにちょっと足を踏み入れたら、こりゃ今どき誰もウチのブログなんか読まないわな、ってリアルに実感したんですよ。
あれだけの勢いで情報を追いかけて、端的に感情を放ってすぐ次に行ける人たちは、こんな僻地で自分とは何の関係もない人間のダラダラ語りに足を止めるわけはないの。
有益な情報があるわけでもなく、何かを極めてるヲタでもなく、社会的主張があるわけでもないただのオバさんの日常語りだもん。
そういう、客観的に見た自らの「必要のなさ」に、ちょっと打ちひしがれて、ブログを書く気力を失いつつありました。
でもそもそもここは私が個人的に勝手にやっている場所であって、誰かにイイねと言ってもらいたいからやっているわけではないの。必要か必要でないかは「誰かにとって」ではなく「私にとって」なのだと。
だから、まぁ、その感覚を取り戻しながら、また日常を記録していこうと思いなおしました。これまで書いてきた自分に対する礼儀というか、やめちゃうのも申し訳ない感じだし。さぼってて記録がない日々が、なんだか急に寂しくなってしまったので、またぼちぼちブログ書きます。
で、どうせだから以前から少しずつ考えていたことを4月あたりから形にしようと考えてます。
もう一つ、ジャンルに特化したブログ作ることにしました。
メインブログの更新もままならないのにもう一個作ってどうなるのか五里霧中ですが、ちょっとやってみたいことがあるので、まぁ、実験です。
うまくいくかどうかとか、続くかどうかとか、考えないで自由になってみようと思ってます。
続かないものが多すぎて、わりと自分のこと期待してないのよね…。
でも、パッション(瞬時の。瞬間的な。)は発揮できるタイプなので、そこをどうにか生かせたらと思います。今、やりたくてたまらないことがあるので!