その後の日々

10月の最後の日、義母が亡くなりました。

 

楽しく明るく優しい人でした。
私は一度も粗雑に扱われたことがなく、苦言や注意を受けたこともなく、短所は見ないフリしてもらい、長所はいっぱいホメてもらって、ただただ楽しいことだけを共有するような間柄でした。
なんだか「息子の彼女」みたいな距離感でずっと接してくれていた。
他人に私を紹介するときにも一度も「うちの嫁」という言い方はされなかった。いつも「息子の奥さん」と言ってくれた。
嫁姑問題で苦労したお義母さんの私への思いやりを、いつもありがたく感じていました。
だから私は結婚して30年近く、ずっと、一度も、お義母さんのことを嫌だと思ったことが無かった。
気疲れするなんてことも、逢うのが鬱陶しいと思ったこともありませんでした。
世にいう嫁姑の確執とは無縁で、本当に恵まれていると感謝してた。
実の母に対していろいろ複雑な感情でぐちゃぐちゃしている私にとって、お義母さんとの気楽な関係は本当に救いであり、恵みでした。

でも私はそんな気楽な関係にただ甘えてただけだったのかな、と今になって思います。
本当はもっといろんなことを私が受け止めるべきだったのかもしれない。
何でも言い合える仲になるには私がもっと近くに寄るべきだったのかも…と。
私はいつだって気づくのが遅い。
でも、私の記憶の中のお義母さんは永遠に一点の曇りもなく楽しく明るく優しい人です。
そのことが、お義母さんにとって何よりも嬉しいことだと信じてゆくことにします。

 

毎年、ウチの年賀状は干支シリーズになっていたんですけど、来年で途切れてしまいました。
干支シリーズは旦那の「願掛け」だったのです。
(年男の巳年から始まって)12年間干支シリーズが途切れず続いている間はご不幸が無いように、というね。
願い叶わず、でした。

 

この1か月、どうしてもブログやツイッターをやる気持ちにならず、放置し続けてきました。
区切りがいいので12月になったら再開しようと思ってはいたのだけど、なんだかネットから離れすぎてしまってイマイチ感覚がつかめない。
ブログもツイッターもなくても何も不便しない、ということに気づきました。
でも、不思議とブログを書かないと書いている時よりも孤独でした。
それも、誰かがいないという孤独ではなく、自分を見失ったような孤独です。
ここは私が私を語る場所で、最低限私と、鏡に映った私自身しかいないかもしれない場所なのだけれど、私はきっとこの「もう一人の私」がいない世界には耐えられない。
もちろんブログがなくてももう一人の私は存在するけれど、可視化できないという部分でちょっと孤独感が増すのではないかと思います。
私はこの世にもう一人の私がいてくれないと、たぶん私自身を見失う。