この辺りでボクちゃんがスマホを落として、あちこち探しまわり朝っぱらからおおわらわでした(汗)。
親切なお姉さんが拾ってくれていて、無事手元に戻り一安心。感謝です!
ひとしきり泣いて気が晴れたところで、こんどは鹿さんにどつかれてまた涙…もう中学生になるというのになんだか頼りなさ過ぎの我が息子です。
ポケットに鹿せんべいを入れたまま近寄っちゃダメだよ、と言ったのに守らないからこうなる↓(鹿さんに囲まれて逃げているところ)
「春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも」
今の季節にちょうどいい歌です。
奈良2日目は飛鳥へ行きました。
まずは橿原神宮へお参り。
広い境内はスッキリと簡素にまとまっております。
母の腰の具合が怪しいので、なるべく歩かずに、駅からタクシーで一気に石舞台まで移動しました。
このタクシーの運転手さんがもの凄い歴史に詳しく、メチャクチャ話の面白い方で、とっても楽しい時間を過ごすことができました。運転手さんが今ハマってる面白い本と教えてくれた本が、偶然私が鞄の中に持ってた本と同じだったり。…ってこれが関裕二さんの本なんですけど(要するにトンデモ歴史本といわれているもの。私はわりと信じちゃってるけどw)「トンデモってわかってても、面白いんだよね!」って意見が一致して大いに盛り上がりました!
車の中には歴史の本が何冊もあって、お客さんが載っていない時間、この運転手さんは読書をしながら歴史に想いを馳せて過ごしているんだろうな、と想像すると、なんだか心がホクホクしました。市井にはナニゲにステキなインテリさんがいるなぁ。
石舞台。
よくある真横からでなく、入り口側から写してみました。
石舞台ではいつもなぜか空が広く見える。
私が奈良で最も好きな場所は石舞台と飛鳥寺です。蘇我ファンなのでね!
両方とも蘇我氏ゆかりの場所だというのもあるけれど、石舞台に関しては、このCM↓の影響も大きい。
ここまで凌辱された古墳は他には無いですからね。異様なのです、ここは。
「いったい何があってこうなったのだ?!」という、もの凄い大きな謎が横たわっている。果てしない想像力が喚起されるのです。
バーチャルリアリティ(VR)で、石舞台の制作の様子を見る、というガイドがあって、体験してみました。
石舞台造設の様子を上から俯瞰して観察する風になってて、VRの映像を見てるだけとわかっていても、足元がグラグラしました。怖かったー。
でも、安全な状態でスリルを楽しめるってのは楽しいですね!初VR体験でした。
石舞台を出て、近くの食事処でランチをしたあと、田舎道をのんびり歩きながら飛鳥寺方面へ。
途中、「伝 飛鳥板蓋宮跡」を通りました。
ここは、皇極天皇が都を置いた場所。乙巳の変があった場所です。
ここで殺された入鹿の首が、飛鳥寺裏手にある首塚まで飛んで行ったと伝えられてます。
実際に飛びそうにも飛ばなそうでもある微妙な距離に、ちょっと怖いリアリティを感じます。
首塚のすぐそばに、中大兄皇子と中臣鎌足が出逢ったと伝えられる蹴鞠の場もあります。
史跡の全てが距離的にとても近く、ごく限られた場所でいろんなことが起こっていたのを感じ取れます。
飛鳥寺は馬子が建立した日本最古のお寺。
御本尊の飛鳥大仏さんは鞍作止利の作。トリ(@日出処の天子)が作ったのか~と想像するだけでなんだかジーンとします。
何度もお会いしている大好きな仏像さんなので、いつものように心穏やかに向かい合っていたのですが、解説の方(飛鳥寺ではありがたいことに、行くたびに解説をしてくださる方がいます)のお話を聞いていたら、急に心がざわつきはじめました。
「何度も火災に遭っては焼け落ちた寺ですが、大仏さんは当初の位置からほとんど変わることなく、1400年の間ここに鎮座しておられます」…と解説の方がおっしゃっているのです。
不可解でした。
なぜなら、飛鳥大仏は、当初作られた像(飛鳥時代のもの)は焼失してごく欠片(片頬の一部分と、手の指など)しか残されておらず、ほとんどは後世に補修したものだと私は高校時代に教わっていて、以来ずっとそういうものと思い続けていたからです。歴史は古くとも継ぎ接ぎが過ぎるゆえ国宝指定もされていないのだと認識していました。
私はその「微かな飛鳥時代の名残り」を感じながら(微かな名残りであるからこそ)、飛鳥大仏さんを愛でていたのです。
ところがなんと、近年の研究(2012年の報告)で、科学的分析によって、ほぼ全体が飛鳥時代のものがそのまま残っているのだということがわかったのだそうです!
マジか!!ビックリ!!
これってめちゃくちゃ凄い発見ですよ!残っているのが奇跡のような仏像さんではないの。
これがまるまるトリの作だなんて、感動で震えちゃう。
本来の位置からは変わっていないけれど、再建された堂の大きさは当初より全然小さいのだそうです。本来は釈迦三尊像だったので両脇に二体の仏像さんが侍り、さらに大きな光背もあったそうで、それから考えると、もとの伽藍はものすごく大きなものであったと考えられるようです。絶大なる蘇我氏の権力をもってした国家事業だったのですね。
こちら参照のこと。
このように、奇跡のようなもの凄い仏像さんであることがわかった飛鳥大仏さんですが、相変わらず写真撮影もできるし、手が触れられそうなくらいすぐ近くで見ることもできる。ごく庶民的な感じで、気どらずに向き合えるのがいい。靴を脱いで上がる小さなお堂の中で、足を崩して自由に寛ぐことができることもあって、実にホッとした時間が過ごせます。
お供え物も庶民的よ。
なんと「早ゆでマカロニ」と干し椎茸です!
大仏さんがマカロニ食べてる姿想像したらめちゃくちゃ可笑しくて。こういうところ一つとっても、古代の飛鳥大仏さんと私たちの日常がフツーにつながり、溶け合っているような、心温まる思いがします。いにしえから時を重ねて、「今を生きている」んだなぁ、と感じる仏像さんです。
飛鳥寺を出た後、飛鳥坐神社へ行きました。
ここは男女和合そのまんまの「おんだ祭り」というお祭りがあるので有名な神社です。売ってるグッズもスゴかった(^^;…ここは折口信夫が養子に入った神社でもあるのだそうです。
続きます。