五十にして天命を知る


今日はミヤジの50歳の誕生日です。おめでとう!


いつも私を励ましてくれてありがとう。
アナタの歌がどんなに私に力をくれるか。
励まし、支え、楽しませてくれるか。
言葉にできぬほど、感謝しています。
どうかいつまでも健やかに、自由に、愛らしいままでね。
これからもいい歌をたくさん作ってくださいますように!


【今日の言葉】


五十而知天命(五十にして天命を知る)


孔子論語・為政編」より)


ミヤジが好きだという「論語」の一節です。
「天命」とは、”本当の使命を見極め進む”という意味と、”己の限界を知り諦める”という、いわば二極の意味があるようです。実に深いです。
とにもかくにも……もはや「天命」と向き合わねばならないトシなのですね、五十歳って。
ビビっちゃうなぁ。私も再来月同い歳になりますけども。
孔子先生のいた当時と今では余裕で10歳くらいは年齢の在り方が違う(今の方が長生きな分、ゆっくり)でしょうから、五十歳であっても「四十にして惑わず」くらいでちょうどいいかと思いますね。
「惑わず」ってのだって、かなりハードル高く感じますよ。毎日迷ってばっかりですからね。
どんだけ自分、未熟なんだか、って話です。
オトナに成りきれないまま年をとっていくことの怖さや戸惑いや不本意な感覚みたいなものはどうしたってあるのだけれど、ミヤジとはそれを共有できる。そこにすごく救われます。