ロキノンインタビュー


ロッキング・オン・ジャパンの7月号にミヤジのロングインタビューが載ってます。



こちらはネットの関連ページ。
http://ro69.jp/news/detail/143960



相変わらずジャパンのインタビュアーはどっちが主役か?てな勢いでようしゃべるんだけど、今回はミヤジもずいぶん話したいことが多かったようで、誘導尋問風じゃなしに自ら進んで語ってきてる感じが面白かったです。


興味深かったのは、ツアーが終わってオフになった時に、ロングドライブをして昔から憧れてた宇和島城備中松山城などを見に行った話。
ずっと行きたかったお城や史跡に行けたのに、楽しくなかった、と。
景色や観光はそれなりにキレイだとかいいなとか思うのだけれど、「楽しくない」と思ってしまう、ってのは自分が(以前の経験により)「きっとこれくらい楽しいだろう」と想像していたトキメキのハードルに、現実の感情が追い付かなかった、ってことだと思うんですけど、そういう感覚(ミヤジはこれを「大人だから」という言葉に集約していた)は、すごく共感しました。
高い期待値(好奇心とか興味とか萌えとか熱狂とかの一連の感情の)があるはずのものに実際接したのに、どうも心の深奥から予想していたそれが湧き上がって来ない感覚。
たぶんそれは夢見がちな人ほど多いのだと思う。そしてそれが「老い」を感じる第一歩だったりもする。


こういった感覚の極にあるのが「なからん」という歌で……ある意味衝撃的でした。
「我が心もはや 楽しきことなからん」
なんてこと、普通は怖くて書けない。
こんなすごいこと、よく書いたな、って聞くたびにびっくりしちゃう。
こういう感覚を拾い上げるミヤジの才能ってのはスゴイ。
でも、歳をとるというのはそういうところに向き合うところから始まるんだと、最近私も気づいてきた。
人間50歳にもなると、ある意味、一度ものすごく現実を見据えて(ミヤジの言葉を借りれば”落ちて”)からじゃないと、きちんと夢を見ることさえできなくなるのかもしれない。


オフィシャルの会報でもこの(ドライブ旅行の)話はしてて、「いいお休みが取れて念願のお城巡りに行けた」という楽し気なエピソードだと感じていたのですが、実はそう単純じゃなかったということがわかった、というのがこのインタビューの収穫でしたね。
小さなことだけれど、こういうちょっとした感覚を語ってくれると、見えてくるものが全然違う、と思いました。


そして、その少し寂しい不全感を抱えて帰ってきたミヤジの元に、明治さんからのCMタイアップ曲の依頼が来た、というのが実にグッドタイミングで。
創作をすることで(しかも依頼された仕事としての)、ミヤジが再びトキメキを取り戻していった様子がよくわかりました。
創作をする人間も、時には誰かに請われて(信頼され、期待されて)仕事を託されるということがどれだけ励みになるか、って話ですよ。
すごく嬉しかったのだろうな、と感じます。


明治さんといえば!ミヤジは「明治の板チョコが好きでよく食べるんですよ」って言ってたよ!!
ほら〜やっぱりねぇ。「板チョコ」ってのがイイよね。らしいw


【今日の言葉】


歌手だから、自分で曲を作って自分自身を取り戻すしかないもんねぇ。

(ミヤジの言葉。ロッキンオンジャパン7月号インタビューより。)


この一言はストンと腑に落ちるように私の心に響きました。
「やっぱそうか」と。
自分が自信を取り戻す方法なんか私だってとっくの昔から知ってる。
でも、どうしてもそこから逃げてしまって(それは自信がないから…なんですが。卵が先か鶏が先かみたいなね)私はいつになっても腹がくくれない。
でももうこんな年になって、今さら何を守ろうとしているのか?と、自分のちっさいプライドに辟易しているのです本当は。
私も自分を取り戻したい!と、この言葉で強烈に感じました。


ミヤジは自分の職業を言う時、いつも「歌手」っていう。(ミュージシャンとかアーティストとかではなく)
「歌を作って、歌う」ということが彼の基本だというのは、いろんな言動を聞いていてもすごく伝わってくる。シンプルで、潔くて、カッコいいなぁといつも思う。
それと同時に「稼ぐ」ということもよく言うので、浅はかな人は、「要するにカネか」と思うかもしれないけれど、ミヤジにとっての「稼ぐ」は、職業としての行為の評価、ということであり、その部分が逆転することはないと信じられる。そう信じられるほどの真摯なストイックさで「歌手」である彼を私たちはいつも目の当たりにしているから。