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夜を乗り越える

Mattan


マッタンの新刊が出ました。



よしもとが小学館と組んで出す新書の第一弾。
さっそく買ってきて読んでます。


今日の新聞に公告が出ていましたが、そのマッタンがあまりにもイケメン風味なので「おおお!!!」と声を出して喜んでしまいました。
これ↓↓



顔に折り線がついてて、その通りに折るとマッタンが笑ってるように見える(お札の肖像部分を折ると…ってのと同じ)という遊び心があるものですが、こーれーは折れないよ。もったいなくて。
ボクちゃんが面白がって折ろうとしていたのを、「やめてやめてーーー」って慌てて止めましたよ(汗)。


で、この広告で気になったものが…
これ。



「初回限定 又吉なりきり裏カバー」
……って、なに?
慌てて持ってる本のカバーを裏返したら……



うわ!!!!
マッタンが半分いたww
要するに、このカバーをして本を読むと、半分マッタンになれるよ、っていう可愛らしい企画でした。
てか、私この広告見るまで全然この仕掛けに気づいてませんでした(^^;。
すごく得した感。


「夜を乗り越える」はマッタンの人生と、小説との出会い、小説を読む意味、好きな小説に関して思うこと…などをまとめたエッセイです。
私はマッタンのファンなので、わりかし以前からほうぼうのインタビューなどで聞いた話が多いように感じましたが、この本ではそういった切れ切れの欠片が一つにまとめられている、集大成的なものですから、又吉直樹というヒトを知りたい、と思う向きには最適な一冊です。
真摯で情熱的な若い文学者の横顔を感じることができますよ。
「火花」がちょっと売れたからって芸人風情が文化人ぶって……的な見方をどこかでしている人たち(たとえば読んでもいないのに「あれは読む価値無し」とか、わざわざ「興味ないし」とかあからさまに言う能の無いバカ)は、彼のこのストイックな情熱と深い思索を目にしたらどう思うんだろう。それでもお笑い芸人だから片手間だと言うのだろうか。
職業でヒトを区分する「凝り固まった」人たちにとって、では”小説家”とは誰を指すのか、”小説”とは何を指すのか、聞いてみたい思いがします。


【今日の言葉】


何もないことを武器にできる。そこにプライドを持つことができる。これは誰でも持てる武器です。

(「夜を乗り越える」より。マッタンが太宰の「東京八景」を読んで気づいたこと、として書いている言葉)


「何もない」ということにプライドを持つ、なんてことができるのだろうか。
果たしてどうやって?
それには「何もない」という結果そのものだけ見てしまっては上手く理解が及ばないのだろう。
悩み苦しみ葛藤した挙句の果てに、何かを棒に振る。
そういう体験から得た「なにもない」は、確かに強いと思う。
でもまだ私はその境地に行けない。何かが足りない。
何が足りぬのか?…と自問する段階が延々と続いている。