富士に月


昨日の「グッド!モーニング」(ウチでは毎朝これを見てます)の林先生のコーナー「金曜言葉塾」での「富士山」と「月」の話がとても興味深かったです。
「富士山」と「月」の組み合わせというのは、古来日本では「ものごとの始まり」の象徴としてのアイコンだったんだそうです。
「富士山」という名前は「竹取物語」でかぐや姫が月に帰る際に帝にあげた不老不死の薬を、帝が日本一高い山の頂上で燃やした(かぐや姫に会えないのだったら不老不死でいる理由がない、ということで、月の都に一番近い場所でそれを燃やした)ことから、その山を「不死山」と呼んだのが由来とのこと。
後年、太宰治が「富嶽百景」で「富士には月見草がよく似合う」と書いたのも、この日本最初の物語、「物語の始まり」とされる「竹取物語」で描かれたこの「不死」と「月」をふまえているとされているようです。
実際、富士山に月見草は自生してないそうで、太宰がわざわざこう描写するには当時の太宰の境遇と合わせて考える必要がある、と。その頃不遇続きだった太宰が、この小説を自身の「新しい始まり」として書きたいと願い、その意味合いを隠されたアイコン「不死(富士山)」と「月(月見草)」にかけたのではないか、という話でした。


なるほどー。
……で、ふと思い出したのです。
「富士山」と「月」…
…といったらアナタ、そりゃ宮本先生ではないですか!と。
エレカシのアイコンは「富士山」です。
サインする時とかも、富士山がついてきます。
こんな↓感じね。(古本屋サイトから拝借。サインを古本屋に売る人もいるんだね(^^;)



この画像を見てもらえばお分かりのように、「富士山」と共に「月」らしきものも一緒に描かれてるのですよ。
これはもしや…古来から伝わる意味合いを知っての上の、隠れた意志が込められたサインなのではないか?!
確かミヤジは無類の太宰好きだったはず。
エレカシは誰よりも「月」をテーマにした歌が多いというのもあるし。


……と、邪推したのですが、どうもこれには諸説あるようで。
ファンの間でも、あれは「月」だというヒトと、「太陽」だというヒトの二通りの意見があるようです。
「月」派は、エレカシと「月」の濃い関係を根拠とし、「太陽」派は「待つ男」の歌詞に「富士に太陽ちゃんとある」というのがあるので、そこからきているというのが定説になってるらしい。
私の未熟なサーチ能力ではミヤジ本人が発言したものを探せないのだけど、ホントのところはどうなのかなぁ?
日本文学に関してはインテリであろうミヤジがこっそり潜ませた暗号(「富士山と月」)なのか、それともオリジナル歌詞の具現という極めてシンプルな自己主張(「富士山と太陽」)なのか。
どっちでもいいんだけど、めっちゃ知りたい。
個人的には暗号の方がいいかなー。イメージとして。
エレカシっていったらやっぱり「月」でしょ。
なんか、自分以外の偉大なモノに憧れてる感じがするのもいい。
憧れを知る者は、やはり伸びしろがあると思うので。
どっちかっていうとミヤジはそういうタイプだと私は勝手に思ってるけど。
いや、こういう言い方すると「太陽」だとなんだかなぁーって思ってるように聞こえちゃうかもしれないけど、そういうことじゃないですよ。
「太陽」でもいいじゃないですか。モノを作る人間がオリジナルにこだわるのはあたりまえだもん。


私が知りたいのは、あのちっちぇー丸印が「太陽」なんだか「月」なんだか、どっちなのかを知りたい(ファンの邪推じゃなくてはっきりミヤジの口から)ってだけです。
どっちかによってイメージが違ってきちゃうからね。
ガチッとした正しいイメージでとらえたいじゃない。
竹取物語」の話から随分離れたところでの私のモヤモヤ話でしたw