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ビスコッティをかじりながら考えたこと

Ayue NEWS diary

ドル誌「POTATO」の連載、「小山 de DOLCE」(慶ちゃんのお菓子作りコーナー)に載ってたビスコッティを作ってみました!

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丁度いいことに、地場野菜のお店で買ってきたばかりの胡桃があるのだよー。

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グラスフェッドのバター、てんさい糖、アーモンド。
どれも、厳選したちょっとイイ食材で作ってみましたよ。

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かたまりにして焼いた後に、スライスして再び焼きます。

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二度焼きをするので、アーモンドも固くなくてサクサク!

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香ばしくてほのかに甘い、絶品ビスコッティが出来上がりました!

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ノリで作ったんですが、これ思いのほか美味しくて、使えるレシピでしたよー。
朝食や夜食にもいいし、日持ちもするので重宝しそうです。

定番レシピに入れちゃおう。


この連載、かなり長いこと続いてるみたいね。アイドルの世界ってのは面白いw
でも、バックナンバーまで遡って見てみたいかというと、それほどでもないかな?なんてことを思いつつ……
ふと、

「でも、これがもし阿嶽の連載だったら??」

って妄想が頭をよぎったら、ちょっと冷静でいられなくなった。
うわーー。そりゃもう全力で、速攻で、全部のバックナンバーを血まなこで集めちゃうよなぁーー絶対!
…ってなこと考えたら、途端に、強烈なセツナさが押し寄せてきて、胸が苦しくなってしまいました……。
なんか、大事なものを急に思い出した感。

 

最近私はすっかり慶ちゃんにゾッコンなので、あたかも恋する乙女のように思われてしまっているかもしれませんが、それは違うのです。
慶ちゃんのことは大好きだけど、これ全然「恋」じゃないんですよ。
いってみれば、お気に入りのキャラクターを愛でる感じに近い。
たとえば、キティちゃんが好きなヒトは、キティちゃんのグッズ、欲しいよね。いつも身近に持っていたいよね。眺めていると癒されて、ギュッと抱きしめたくもなるでしょ?
でも、キティちゃんと恋人になりたいとか、キティちゃんに振り向いて欲しいとか、そういう気持ちにはならないじゃない(わりと一般的には)。
キティちゃんのことは大好きで、見るたびハッピーになるけれど、それは恋ではない。
恋ではない「好き」という思いは、ただただひたすらにハッピーなのです。悩む隙は無い。

慶ちゃんやNEWSは、私にとっては、お茶の間に楽しい時間を届けてくれる最強キャラであり、癒しの存在であり、新しい娯楽です。
こうやって出てるTV見たり、載ってる雑誌読んだりするだけで満足というか、ただただハッピーで…それ以外べつに何も欲しくないんですよ。私はそこで誰かと対抗しようとか自分の存在感を示そうとか一ミリも思わない。見せてくれるものをひたすら喜んで見るだけです。
あの巨大ウチワを振りながらコンサート見たら楽しいだろうなぁ……とか思うけれど、どうしてもコンサートに行きたいわけでもない。行けたらいいし、行けなくてもいいし。
「オバちゃんも、ちょっと混ぜてね。邪魔しないから。」みたいに、NEWSのファンの皆さんの末席に座らせてもらえたら、それでいいのです。もうホントに自分の存在なんか一番最後でイイっすから、楽しいとこだけちょっと見せてね♪みたいな。

 

ホントに恋をしてしまうと、こんな感覚にはなれないですからね、私の場合。
コンサートになんか行けないくらい自意識過剰になってしまう。自分がファンの一人でいることが耐えられない。その他大勢でいることに我慢ならない。他のヒトを見つめる彼を見ていたくないし、私だけのための歌(普段は独りきりでヘッドフォンを通して聴いてるわけだから)を、他の人たちと共有などできないし、ファン仲間同士仲良くするなんて絶対ムリだし、誰かがしたり顔で彼のことを話すのを聞くのもイヤ。彼と同じ大地を踏みしめているというだけで、緊張で息苦しくなるし、目が合ってしまったりなんかしたら、私は石になってしまうかもしれない!そのくせ妄想ではいつも恋人で。その妄想は何よりも甘く楽しく。けれども妄想と現実の乖離は甚だしく、いったい自分がどこにいるのかまるで見えない。
とにかくとんでもなくタイヘンなのです。
恋するココロはものすごく不自由。当然、思うようにはならず、たくさんの葛藤と闘わなくてはならなくなる。楽しいけれど、苦しい。そのくせ簡単に忘れることはできない。

 

私が阿嶽に対する感覚はまさにこれなのです。
ずーーっと、もう20年近くこんなバカみたいな想いを抱いているのだから、かなりの「こじらせ系」です。
最近は少しフラットになってきたかな?と思ってたんだけど、いまだに根底では変わらないんだなぁ…と、こうして新しいハマリモノができてあらためて自分の心に向き合うことで、より一層気づかされてしまったりするの。
慶ちゃんのために私は何一つ頑張れないけれど(ただただ楽しませてもらうだけです、はい)、阿嶽のためだったら…というか、阿嶽のいる場所に少しでも近づくためだったら、私はいろんなこと頑張れる……はずなのです。今までも何度もそう思い込んで……結局頑張れちゃいないんですけども(汗)、それでも私を動かすモチベーションとして、やっぱり阿嶽は最強。
阿嶽の存在は、私にとっての「緑の灯火」(@「グレート・ギャッツビー」)なのです。
ギャッツビーと違って私はちょくちょく「緑の灯火」の存在を忘れて迷子になっちゃうんだけども(汗)、忘れるたびにこうしてその存在を思い出させてくれる。
ただ楽しく娯楽に浮かれてるのもいいけれど、やっぱり、「緑の灯火」のある人生を歩きたいな……なんて。
慶ちゃんに教わった焼きたてビスコッティをかじりながら、そんなことをツラツラ思う、日曜の昼下がりでありました。