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なんか違う

新譜プロモ関連でメディア露出が多く、それに関してのファンのツイートやらブログやらを追っかけては情報収集を繰り返しているうちに、なんだか自分の中でどんどんどんどん違和感が堆積してきた。

私はこういう風にエレカシが好きなんだっけ?

と、ふと冷静になったというか…
何やってんだ自分、という気がした。

急に。
プロモの祭り(と、それに対するファンの熱狂)に踊らされてしまってるのを感じて、自分でちょっとイヤだな、そうじゃないんだよな、って思ったんですよね。

 

私がエレカシを好きになったのは、彼らの歌が、私に寄り添ってくれたからです。
私の抱える思いととてもよく似たものがそこにあったから。
その歌を「これは私だ」と感じた。
大いに慰められ、励まされ、ミヤジの言葉を自分の心の声とリンクさせてきた。
でも、新曲にはそれ(「これは私だ」という、共感)を感じることはできない。
ぶっちゃけ、私は今度の新曲、全然好きじゃないな、って聴いた瞬間からわかってた。
「偶成」や「東京の空」や「夢のちまた」や「さらば青春」や「武蔵野」や「風に吹かれて」や「覚醒」や「リッスントゥザミュージック」や、いやいやただの懐古趣味じゃないぞ。「彼女は買い物の帰り道」や「なからん」や「RAINBOW」だって……ああ、きりがない!数々の珠玉の名曲を作った人がなぜ…と、途方にくれる。

そりゃ世の中ダセェ奴ばっかりで名曲なんかからきし売れないんだからしょうがないんだけど。わかってるけど。ミヤジだって売れたいんだから、生活かかってんだから、世間様のニーズに合わせるのは当然なんだけども…世間のエレカシのイメージって、やっぱり「俺明日」系なの?と、寂しく思う。(今度の新曲は2曲ともタイアップ曲なので、誰かのニーズが大いに働いている)


それでもエレカシの新曲が出るということ自体が嬉しいし、大好きなアーティストが作ってるのだからやっぱり聴くし、新曲が気に入って嬉しそうなミヤジを見て「よかったね!頑張った甲斐があったね」と心から祝福する思いはあるのです。それは確かなのです。
でも曲が好きなわけじゃないんだよねぇ。
ダサいなぁと思ってる。そこはもう、はっきり言いたい。言いたくなった。

 

エレカシ好きさゆえに自分の感情を無視してしまったら、それって”あちらにすり寄ってる”だけだもん。もはやそれは愛じゃない。
自分の感覚を抑えて、アーティストへすり寄って、私は何をしたいのか。
ミヤジに好かれようとでも?ガッカリさせたくない、とでも?
キモチ悪いな。なに勝手に同じ土俵に立った気でいるのだ?しかも奴隷のように卑屈な態度で。もっと冷静になりなさいよ…初心に帰りなさいよ…と心の声が聞こえた。
ミヤジが作ったからといって、自分に合わないものを無理して「イイね!」と言うのはやっぱり違う。
ここをちゃんと「違う」としておかないと、以前の「好き」と言ったものまでウソになってしまう。大好きな曲に対する想いがウソになってしまうのは困る。
あんなガチで真っ向から音楽家として生きてる人に対して、ウソをつきたくない。
こっちもガチで聴いていかなきゃ、と思う。
真摯というのはそういうことなんじゃないか?
私の意見なんてどうだっていいのだもの。曲の好き嫌いを言うことで私が悪びれることもないし、ミヤジが気にするようなものでもない。ファンが腹立てることでもない。もちろん曲自体に対する評価でもない。単なるリスナーのシュミの問題に過ぎない。
でも私にとってここでこれを書くか書かないかはとてもとても大事な問題なのです。だってそれは私自身を語ることだから。
なので、あえて書きました。スッキリした!