今はプラトンを読んでいるそうです

「MUSICA(ムジカ)」8月号にミヤジのインタビューが載ってます。

 

MUSICA(ムジカ) 2016年 08 月号 [雑誌]

MUSICA(ムジカ) 2016年 08 月号 [雑誌]

 

 

新譜発売に先駆けて思うところ、というインタビュー。
近頃バンドのみんなが元気で嬉しい、とか、期待に応えて頑張って成果を出せるのが嬉しいとか、エレカシ大好き、とか全般近頃のインタビューでのトーンと同じで、とても元気で明るく前向きなミヤジです。
で、唐突に「論語読むのやめた(「論語」は以前からミヤジの愛読書)。今はプラトン読んでる」との告白が。

その理由(詳しくはムジカを読んでください)に凄く共感しちゃいました。

私もつい最近まったく同じこと思ったのですよ。
自分の中で知性や教養が足りていないのを自覚していて、それを得ていかねばとずっと思っているのだけれど、どんどん歳とっていってしまい、何もかも中途半端になっていってる。もはや「手習い」をする歳ではないとの自覚をもち、せめてオトナとして自分で立っていける部分をもっと大事にしよう(時間もないのでそうせざるを得ないんだから)と、しみじみと感じる……というね。
ミヤジは森鴎外なんかが好きだし、漢籍を日本語訳で読む不甲斐なさを感じてしまうんだろうな(押韻の美とかも中国語でなきゃわからないわけだし)。
まぁ、それでも読んでないよりは全然マシなんだけども……そのことに気がつくのもきっとあと10年くらい必要なんだろうと、自分ゴトとしては予感するのでありますよ。


「MUSICA(ムジカ)」の表紙と巻頭インタビューはスピッツです。
今月、3年ぶりの新譜が出ます!(今はお嬢がスピッツファンなので、お嬢が買うでしょう)
そのプロモの一環で、今日は久しぶりにTVで歌うスピッツを見ました(TBSのナマ音楽番組「音楽の日2016」)。
出るって聞いてからずっと楽しみにしてたんだけど、新曲「醒めない」を歌っただけで一言もしゃべらなかったのが残念でした。他の出演アーティストはみんなトークシーンあったのにな。
まぁ、音楽で全ては伝わるはずなので何か語るまでもない事だけども、やっぱりファンは雑談でも近況でもいいからトーク聞きたいもんだよね。
マサムネはちょっと元気なかったかな(……髪型?)。そのぶんタムラ君がめちゃくちゃ若々しくてブンブン飛び回ってました。
「MUSICA(ムジカ)」8月号の表紙と特集がスピッツなんだけど、そこでも写真のタムラ君がすっごく若々しくてイケててビックリしたんですよね。何があったのだ?


私は以前、スピッツの大ファンでした。
”以前”というのは、「さざなみCD」までです。なぜかこのアルバムでフイッと醒めてしまって、以降あんまり聴かなくなってしまったんですけどね。(ちょうどその頃クラシックに激ハマリしたせいもあるかも)
ちなみに私の最愛のアルバムは「ハヤブサ」。私にとってスピッツとは、「ハヤブサ」とほぼ同義だったりします。


スピッツエレカシも私は好きですが、比較してみるとその志向がかなり違うことを感じます。
ひさびさに曲を聴きながら思いましたよ。やっぱりマサムネは私にとって「異性」だなぁーと。
とことん「男のヒト」だ。歌の世界観もそう。佇まいもそう。
だからスピッツはめちゃくちゃエロいのです。(「男のヒト」ではあるけれど、マサムネに恋をしたことはないのですけどね。エロだけは感じる。わかるかな?この感覚)
この「色っぽさ」って、私はミヤジには一ミリも感じないんですよ。
べつにミヤジ個人がそもそも色っぽくないっていうんじゃなくて、私にとっては同一視する対象なので「異性」的なものを感じることができないんです。
「男!男!」言ってる硬派なミヤジでなくて、一見フェミニンなマサムネの方が「男のヒト」だというのが不思議でしょうが、どうしてもそうなんだもん。これには私のビミョーなセクシュアリティの問題も関わってくるので何とも言えないね。
逆にミヤジに対しては(今日もそれっぽいこと書いてるけど)自分と同じ部分を探しては喜ぶ、という……「あーわかる!」「同じこと考えてた」という集積が愛着へとつながってゆくという、ちょっとヤバいファン心理を持ってる気がします。そもそもハマったきっかけがそういうとこだったわけで。


そういやマサムネはエレカシの大ファンなんですよ(一番好きなのはブルーハーツ、というのは有名な話ですが)。
今のスピッツを聴いてもそういった雰囲気は全然感じられないけど、初期の頃は確かに通じるモノありますね。

いずれ劣らぬ天性の詩人だということも。