続々・憧れの一日

さらに続きです。



2位:ローマ/スペイン階段脇の古いパラッツォ



妄想の中だけでも私は阿嶽と無国籍な感じで相対したい、と思うことがあります。
どっちかの文化や生活背景を押し付けることなく、自由にありたいと(「和服着せたい」とか、原住民の服着たいとか、真逆の妄想もするので、どっちがいいってのではないです。あれもこれも思う、ってことです)。
全く知らない、お互い縁もゆかりもない場所に行く、というのもなかなかロマンティックだなぁ〜と憧れるのです。


そこで、ローマですよ。
”スペイン階段脇の古いパラッツォ”というのは、ベルトリッチの映画「シャンドライの恋」で、デビシュ演じる主人公が住んでる家です。これが実に官能的な家で!憧れなのです。
これに「ローマの休日」でグレゴリー・ペックが住んでたアパートメントの中庭がつけば完璧です。
中にはたくさんの色とりどりの花が咲いている。
この家で、阿嶽は作曲をし、私は台所で(階上から聞こえてくる音楽に耳を傾けながら)パンを焼くのです。
日が落ちたら石畳の歩道を並んで歩いて、バルに行きます。
しこたま飲んで騒いで、深夜にまた石畳の道をそぞろ歩いて帰ってゆく。
夏の夜。涼しい風が酔った頬に心地いい。
デート、っていうか、そういう生活ですね。のんびりと、時間も制約もないような日々。
その日々を語っているとマジで三日三晩かかるほど夢中になりそうなので、やめとくw



1位:成田空港あるいは桃園空港、もしくはどこか異国の空港



どちらのテリトリーでもなく、誰のテリトリーでもない国籍が希薄な「往来」。
その最たるものが空港です。
私が一番憧れているデートは「空港で待ち合わせ」というヤツです。
そしてBGMもガチで決まってます。
これ↓


超級想你 鄧穎芝feat.張震嶽

阿嶽の曲です。
女性歌手に提供した楽曲で、阿嶽はコーラス参加をしてます。
こういうパターン(他人への楽曲提供でコーラス参加してる)が、私は一番ヨワイ!メチャクチャ好き!!!なのです。
本人がメインで歌ってる曲よりも好きです。女声との絡みがも〜〜〜〜〜〜最高に色っぽくてカワイイからですよ。まるで後ろからそっと抱いてくれてるようなボーカルなのです。


この曲のイメージは、好きなヒトに逢いに行く女の子が空港に佇んでいる、というシチュエーションです。
彼女は彼を(数時間後には逢えるであろう大好きな彼を)想像して、この曲を歌っている。
独りで、期待とかトキメキとか目いっぱい抱えながら待つ時間の至福を思うのです。
空港で待ち合わせの醍醐味は、この「待つ」という時間です。
結構な時間、待つほうがいいな。
で、やっと姿を現す彼。
目が合ってとびきりの笑顔を見せてくれるその瞬間。
これぞ永久保存ですわ。


ぶっちゃけ私が最も数多く妄想するのは、「出会いの瞬間」です。
はじめて一人の人間同士として目が合う瞬間。
彼が真っ直ぐ私だけを見る瞬間。
思いっきりこっち側は恋する気持ちでいっぱいいっぱいになってる状態で、大好きな人に逢う、その瞬間。
これが一番の憧れで、正直それ以上のことは真っ白、っていうか……あまり想像が及ばないのです。
だって、「実物」に逢ったら私は自分がどうなるか、全く予想できないから。
「出会いの瞬間」への妄想は、今まで書いてきたマンガみたいな「完全なる妄想」とは違って、いつかもしかしたら実現できたら…と思っている、憧れとしての妄想です。
それこそいろんなパターンがあります。シミュレーションばっちりですよ。
どんな形かわからないけれど、私はいつか「その瞬間」を迎えたい。
「今はまだ勇気がない」と言っているうちにどんどんお婆さんになってきちゃったので(汗)、どうにかしないと。
どうにか、自分で納得できる形で…と思ってるわけですが、どうなりますか。
どうもならなさすぎて、考えると泣きそうですよ。


現実問題としては、私はとっくに諦めてるのかもしれない。
そもそもさ、言葉に頼って生きている私が、阿嶽と言葉でコミニュケーションがとれないんだからして。
旅行会話程度の中国語ができたとして、それで何を語り合えるだろう?と思うと、もう虚しくてヘナヘナと座り込んでしまいそうになる。
「我想去洗手間」みたいな会話で私の何が伝えられるのさ。ムリだろ。
もちろん問題は言葉だけじゃないですよ。あらゆる問題が山積してます。
そういう現実を乗り越える器量も私には無いのです。
馬鹿なんだからしょうがないけど、結局はおのれの無能にすべて収斂する、というね。
同じ空間で生きていくことなど、絶対にできない。
空を飛ぶ鳥と海を泳ぐ魚が一緒にいられないのと同じようなもの。
陸を這う生き物が夜空に輝く月に憧れるのと同じようなもの。
永遠の、平行線。
だからこそ私はこの先もずっと阿嶽に恋をしていくんだろうなと思う。
まさに「明星」を眺める下界の者として。