ブログ・マジック


ふと思ったんだけど。
このブログには本に関する記述がめちゃくちゃ少ないけれど、私は日々本を読むことを欠かすことはありません。どんなちょっとでも、必ず本を読む。
ただ、本の感想とか、どんな本を読んでいるとかを書きたい気持ちには滅多にならない。
単純にめんどくさいし気が乗らないからだけど、それだけじゃなくて、もう少し複雑な自意識も働いているんだと思う。
とりあえず、何かブログ的に他のネタと関連あるような場合(好きなヒト絡みとか映画の原作本とか)以外は、滅多に読書ネタには触れてません。
ブログを見る限りでは私は「ろくに本を読まない人」になってます。
でもこれは間違いです。実像とは違う。
実際のところは、本を読むくらいしか能がない。
書店はほぼ毎日見て歩くし、毎週末には図書館に行く。好きな場所は神保町と国会図書館だ。それが私です。


ブログに何を書くか(あるいは書かないか)で、ヒトは簡単に実像と離れたイメージを現出できてしまう。
それをわざとやってる確信犯な人もいるだろうけど、何の考えもなく無意識でいてもそうなる。
ウソなんかひとつもつかなくても、出す話題と出さない話題とを選ぶだけで、まるで別の人のように認識されちゃったりするのです。
人の印象なんて与えられた材料の中でしか判断できませんからね。
与えられなかった材料は、キャラクター形成に加味されない。
往々にして、ヒトは大切な事、核心に近い事ほどそう簡単にネットになんか書きこまないものだし。
したがって、ネットの中の人格というのはたいていが実物とズレてるのです。(そういう例をいくつも見てきました)
自分でありながら自分ではない、ネットの中だけのもう一人の私。
ハンドルネームは、もう一つの人格です。
でも、この「自分でありながら自分ではない」という存在は、ある意味「癒し」でもあるんですよね。
それがネット発言をやめられない原因のひとつでもあるかもしれません。
私が、たいして熱心に更新するわけでもないブログを続けている理由の一番大きなものは、そこかもしれない。
「yona」という人格(大切な大切なもう一人の私)を、失いたくないんですね。
このヒトはネットの世界でちょっと華やかだった時代があって、私を楽しませてくれました。
yonaがいたから30代の私は本当に夢みたいに楽しく過ごせた。
いわば恩人です。親友であり、一番の理解者でもある。
でも最近、yonaと私の距離はとても近くなってる。
yonaはもう昔みたいにネットの海を上手にサーフィンする器量がなくなってきたし、私もyonaにあまり期待しなくなった。
私が冒険できない分、昔みたいにyonaに頑張ってもらおう、と思うこともあります。いや、そろそろ私の方が頑張らないと、と思う気持ちもあります。
SNS始めてみようかなぁとか、阿嶽のファンサイト復活させようかとか、何か目標設定してレポしたりも面白いかもとか、とりあえず毎日ブログ更新しようかとか……
ウダウダと、そんなしょうもないことを考えながら、特に何をするわけでもなく、私はyonaとこれからもずっと肩を組んで歩いて行くのです。