「華麗なるギャツビー」

先日のエントリで触れました「華麗なるギャツビー」のディカプリオ版、やっと見ました!
ギャツビーがディカプリオ……それは果たしてどうだろう。
笑わずに(?)見られるだろうか?
…的な心配がありましたが…(以前、三谷幸喜が「(ギャツビーで)ディカプリオが出てきた瞬間、つい笑う。」って言ってた。それ聞いたとき、観てない私でも同感だったwデイカプってそういうイメージ)
観終えた今ではもはやギャツビーはレッドフォードじゃなくてディカプリオです!
出てくるだけでちょっと笑っちゃうようなオッサン小坊主だからこその、最高のギャツビーが見られました。
どんなにお金持ちでも、立派な物腰をしていても、どこかに瑕疵が見え隠れしていて、それを神経質に取り繕っている男…ってのを、ディカプは見事に表現してます。
そう、ギャツビーは王子様じゃないんです。
ある目的のために、汚い手を使ってでも成りあがってきた貧しい出自の人間です。でも、その心はとてもウブで純粋です。
イノセンス(無垢)。
ギャツビーを語る時のキーワードです。
たぶんそれを演じる才能において、ディカプはハリウッドの中でもトップクラスなんじゃないでしょうか。
バズ・ラーマン監督独特の、おもちゃ箱をひっくり返したようなド派手で絢爛たる「作り物」の、一夜にしてすべて消える夢のような世界に、ディカプリオのギャツビーはめちゃくちゃよくお似合いでした。
この映画、見た目は派手でハチャメチャだけど、予想していた以上にきちんと物語のエッセンスを汲んでましたね。
これ観た後にレッドフォード版を見たら絶対に物足りないだろうな。


ギャツビー以外にも、ディカプリオ版はキャスティングが素晴らしかったです。
「美しいおバカさん」であるデイジー役のキャリー・マリガンがとてもイイ!
うっとりと美しく、寂しく、愚かで。
自分のことさえわかっていないデイジーに、キャリー・マリガンのボンヤリとした存在感はぴったりでした。
気がついたんだけど、ミア・ファローは要するに容姿もアレだけど(汗)、それ以上にこの「愚かさ」を演じられてなかったんですよ。どうしたってインテリの雰囲気が出てしまうのでね。だからどうしても「違う」って感じがしちゃう。
ニックを演じたトビー・マグワイヤも最高でした。
育ちが良さそうで、反骨精神があって、正義感が強くて、センシティブで。これぞニック!というはまり役。この物語はニックがバチッと決まってれば、半分以上成功したようなもんです。
でもって忘れちゃならないのがトム役のジョエル・エドガートン
これが強烈。完全にイヤな奴でヒール役なんだけど、血の通った人間として、その心の弱さを想像させるまでに巧く演じてる。


それにしてもジャズエイジの狂乱騒ぎって、凄いね。
人生ってなんだろう?と思っちゃう。
人生はパーティー(もしくはパーティーは人生)みたいな日々を、一度でも過ごしてみたら、何か別の価値観が生まれてくるような気がする。
そういうシーンを通り越してしか見えてこない風景ってのはあると思う。
パーティーはいつか終わり、うら寂れた路地に一人取り残される日が来るのだけれど、それでもパーティーのない人生よりある人生のほうがいい。
ずっと「灰の谷」で過ごす人生は、人生そのものが見えずに終わってしまいそうだもの。

映画を見た後、古い文庫本をひっぱり出してきて「偉大なるギャツビー」を再読しました。訳は野崎孝バージョンです。
これ、村上春樹の訳したのが出てるんですよね…
村上春樹フィッツジェラルドに対する思い入れが強いから、かなりこだわりのある翻訳してそう。
読みたいなぁ。
ちょっとネットで調べたら、文体がかなり読みやすそうで、ニックの語り口調も、すごくニックっぽくなってるのに惹かれました。臨場感があって、ぐいぐい引き込まれる気がする。
近いうち読んでみようと思います。


映画の予告編貼っておきます。