私なりの愛し方


そういえば、阿嶽の20周年記念ライブのDVDを見た感想をUPしてなかった。
何書いてもろくなことにならなそうな気がしてやめてたんだけど、スルーするのもなんなので、思ったことをさらっと書いておくことにします。「感想」ではないですが。
こちらは↓ライブDVDのCM。雰囲気がわかるかな。



ド派手!
こういう大規模コンサートってのは、見る前から感情移入できないことをわかってるので(私にとって阿嶽はそういう人じゃないからです。後述しますが)、ほぼ愚痴っぽくなってますが、決して阿嶽の活動を否定するものではないです。
そういうのが好きな人もいればそうじゃない人もいる、っていうただそれだけのことなので念のため。


20周年ライブはいろんな関係者の思惑もあって、本人の好むと好まざるとに関わらずこういうスタイルでやるっきゃない、みたいなのがあるのだろうし、で、阿嶽はそういうところでちゃんとノッって楽しんでお仕事全うする器量のある人なので、実に充実の20周年ライブだったろうという感じでした。
やり遂げた感があるね。
なんにせよ阿嶽は凄い。
偉大だ。ものすごくよくやってる。
でも…なんというか、私の欲しい阿嶽はこの巨大ライブにはいないんですよね…
ここにいるのは「みんなの阿嶽」で、何百万の人たちに「張震嶽、我愛ニイ!」って叫ばれる大スターだけど、「私の阿嶽」じゃない。
こういったライブ映像を見るたびに同じようなことを思うヒネクレタ人間なので、最初からそういうもんだと思って見るわけだけれど、阿嶽的に最大の規模の今回のライブでは、いつも以上にその感覚は強かった。
物量と人数と規模が、そうりゃもう超ド級
スーパーバンドもスゴかったけど、あれはスター4人の結集ですからね、イベント的でもあったし、阿嶽が私の中で初めて「みんなの阿嶽=私の阿嶽」になった瞬間で、それが嬉しくて私もスーパーバンドの巨大なライブはめちゃめちゃ好きなんです。
普段ライブに興味ない私も、あれだけは行きたかった。(だからライブDVDも好きでよく見てます)
でも、単独でこれ、って。
ワタシ的には無いんだなぁ。
もちろん、出世したのを妬んでいるのではないし、人気者になったのを寂しく思ってるわけでもない。
そういうんじゃないのよ。全然違う。
心の底から阿嶽の躍進は「凄い!おめでとうっっ!」って思ってる。
誇らしく、鼻も高い。
「そりゃそうさ、私の見込んだ阿嶽だもん」、っていう自慢さえ感じてますよ。
でもそこにいる大スターさんは「私の阿嶽」じゃないので、心のどこかで「どうでもいいや」って思ってる。
これは私の管轄外、くらいの感じ。楽しむ人が楽しめればいいんじゃん、っていうね。


ひとくちに「ファン」って言っても、いろんなヒトがいる。
私はもともと阿嶽のライブには興味ない(「行けなくても平気」じゃなくて、「行きたくない」という)変質ファンです(汗)
それにはちゃんと理由があって、自分にとって大事な価値観を優先しているだけなんだけどね。
誰もがライブに行って蛍光棒振りたいわけじゃないし、誰もが本人に会ってサインして欲しいわけでもなく、誰もが一目でもいいから会いたいと思っているわけでもない。
”自分の中の彼”を、ただひたすら愛おしんでいるというファンだっている。
こういう姿勢は「現実的じゃない」「臆病すぎる」「楽しみを追求しなさ過ぎている」などと言われ、あたかも「正しいファン」ではないかのように思われることが多いけれど、そんなこたーない。
絶対に、そんなことはないのよ。
興行的観点から見りゃそりゃファンとしての貢献には著しく乏しく、それゆえにこういったファンがファン認定されないのも社会的には正しいわけですが…
気持ち的にはね、私は、ワタシ的に、最大限に正しく最強なファンなのです。


妄想が何より大事だという人間のことは、実に理解され難い。
そりゃもう、ビックリするほどですよ。
みなさん「現実」がやたら大事なのね。
でもさぁ……「現実」ってなんだ?
そんなもんは芸能人に恋するような倒錯した人間はハナから持ちわせてないんじゃないのかと思うけど違うんかい?
いや、私だって現実は大事だよ。
でも、こと阿嶽に関しては、私の欲しい現実は今ここにあるものではないからね。
大衆に混じって蛍光棒振る現実なんて、欲しいわけないよこのアタシがさ。
そんなものはまったくもっていらない。
阿嶽は私に夢を見させてくれる人。
実体なんかなくたって、夢を見ていられればそれでいいんです。
もし実体があるのならば、できるだけ夢に近い状態で!と願ってる。
でも今のところはそれはムリなので、夢を見られるだけでいいの。


彼の声がイヤホンを伝わって私の耳に入ってくる。
(近頃は阿嶽の声を空間とも共有させたくなくて、ほぼ100%イヤホンを通してしか聴きません)
誰にも邪魔されず、私だけの世界にその歌声が沁みてゆく時の至福。
それだけでいい。
それだけが阿嶽が「私の」阿嶽である証。
ミュージシャンとしての彼の本望も、そういうところにある気がする。
大衆に消費されるより、一人の人間にダイレクトに影響を与えたい、というような。


実際のところ、こういう愛し方をするファンの存在を阿嶽本人はちゃんと把握してくれているんですよね。
そこらの人たちが誰も理解してくれないこの愛し方、ファンとしての妙なあり方を、阿嶽本人はちゃんとわかってくれている。
しかも、むしろこういうファンを理解者として想定してくれているっぽい雰囲気さえある。
阿嶽はこういうファンのために、それなりの表現を必ず用意してくれているんですよ。
一人きりで演奏して語りかけてくれるV、とかね。
スターとして大観衆に包まれている映像の後に、一人で海にいたり公園で黙々とスケボーする姿が入ったV、とかね。
そういうのを定期的に作ってくれる。
要するに等身大の、一人きりの自分(つまりそれは間接的にファンと一対一の在り方を演出するわけですが)を必ずバランス軸のように、わりとかたくなにw 入れこんでくるんですよ。
阿嶽の「我不是明星」っていう意識が、そうさせてるんだけど、それは私のようなファンにとても優しいのです。


だから私は、心置きなくこういった「奇妙な」ファンでいつづけられる。
だってご本人が間接的に「それでいいんだよ」って言ってくれているんだもんね。
巨大なライブの映像に決して心を添わせられないファンの存在を、阿嶽は知っている。
知っていて、その感情をものすごく大事にしてくれる。
阿嶽のそういう心を知っているから私はいつでも安心。
なんというか、もうね、めちゃめちゃ阿嶽は想像力があると思う。ホントにクレバーな人だ。
阿嶽ほど才能も人気もあるミュージシャンはそうそういないけど、阿嶽が凄いのは要するにそういうところなんですよ。
歓声と熱狂にのせられて軸がぶれるなんていうことがなく、その地位に甘んじることなく、いつだって孤高の極みに帰ろうと志向する。
孤高のミュージシャンは、孤独なファンの心を誰よりもよくわかってくれるのです。
って、なんだかなぁ。
ただベタ惚れしてるファンの宗教じみた独り言になっちゃったよやっぱり。
ただの恋バナ。だから無駄に長い(汗)。皆さんは読む価値もないよ。