ネットの中にいた記憶


断捨離の一環で、昔のファイルの整理などをしています。
もはや前時代の遺物と化した大量のフロッピーディスクを外付けドライブで読み取っているといくら時間があっても足らない(汗)。
こういうの、どうしたらいいんだろう…確認せずに捨てる、ってのは嫌だけど、確認したからといっても捨てるに至らない。
要するに時間の無駄、か?!


箱いっぱいのフロッピーの中でも膨大な量になるのはメールです。
ニフティ時代の明星迷仲間たちとやりとりをしたメール。
ランダムに開いてみて、その量と濃さに圧倒されました。
しかも驚くほど密な話をしているんですよね。
どれも文章が長い!!!眩暈がするほど長い!!これ書いたの誰や?!みたいな。
こんなもんを毎日複数の人に何通も書いていたというのは今考えるとスゴイ話です。
圧倒的なパワーと情熱。
たくさんの仲間と、日々明星の話をし続けていたのね私(汗)。
明星の話だけじゃない。パソコンの話も多い。
動画の場面を静止画にして取り込むにはどうしたらいいか、などを延々と話していたりする。
当時はDVD処理ソフトだのキャプチャなんてものもなかったからね(18年くらい前の話)。
VCDを再生しながら、PCのコマンドを駆使して静止画を取る、っつー高度な技術を駆使していたのよ。


かつて、ネットの世界にはリアルの世界よりも「仲間」がいっぱいいた。
私は持てる力の全部を使って、そこで遊んだのです。
膨大な記録を前にして、あの時のすごーーく楽しかった気持ちを懐かしく切なく思い出しました。
こんなことはもう二度と自分の元に起こらない。
そりゃそうだな、と、これを見て納得しました。
今や逆立ちしたってできないことです。
若さと情熱、ろくに寝ないでも頑張れる体力、それとちょっとした才能が私にあった頃の話。
すごいな、私。
私、この私のことがすごく好きだし誇らしいわ。
自分のことをそう思えるのが、嬉しい。


今こうしてダラダラとろくでもないブログなんか書いてるの私は完全に抜け殻です。
すいぶんダメな、つまらない人間になっちゃったね。
ここは、とりあえず日常の記録と行き場のない「萌え」を語りたいというだけで残してある、ごく個人的な雑記帳にしかすぎませんが、それさえ最近はままならない。もはやネット内での生体反応が微弱でとらえられないレベル(汗)。
なんにしろ、どうでもいいことをつぶやいているわけで、誰のこともアテにしてない。
このつぶやきのあてどなさはツィッターの斜め上をいってる。
今や私は孤独になるためにネットの荒野に佇んでいるようなものです。
やることがなくなっても人間なんとなく生きてゆくように、ネットの中の「yona」はいまや単に存在してるだけです。
何もしていない。
どこにも属していない。
周りにはもはや誰もいない。


いつの間に、こんなに独りになってしまったのだろう?
みんな、どこに行ってしまったのだろう?
これが「ネット社会」の脆弱性だというのならば、あの濃密な時間は何だったんだろう?
奇跡だったのかもしれない。
奇跡は、過ぎてからそれと気づくのだろうか。


中川淳一郎氏はその著書「今ウェブは退化中ですが、何か?」の中で、「ネットの中に思い出はない」と書いていたけれど、私は膨大な思い出がネットの中にある。
・・・いや、これも正しくは「ネットの中」ではないのかな。
やりとりにネットを使っていたけれど、あれは同時代に同じものに夢中になった者同士のリアルな祭りでした。
そこに最強ツールとしてネットがあったということですかね。
言うに言えない想いをサイトに吐き出したり、仲間と会えない時間の隙間を、膨大なメールの文章で埋めていただけなのです。
どこの誰だか知らない人と・・・というやりとりではなかったのは、それがニフティのフォーラムからはじまってるからなのかもな。
インターネットよりもずっと距離感が近かったパソコン通信の時代の話。
「花花」だって、実際にツラつき合わせて喧嘩したり泣いたり笑ったりしながら作ったんです。
決してバーチャルではない。あれには実体があった。しかもめちゃくちゃ濃密な時間とともに。
それでもやっぱりネットがなければなにも始まってなかった。
全てのきっかけはパソコン通信だったのだし、サイトをやることでたくさんの人と知り合うことができた。
阿嶽とやりとりできたのだってインターネットがあったからだ。
私はあの時、最大限にネットを活用し、自分を活かせたという実感があるせいか、もはやネットに期待はしていないんですよね。
だってもう、ありえないもん。あんな奇跡は、二度とない。


でも、「ありえない」「もう二度とない」なんて思いながら、何かをするわけにはいかないから(それではあまりにツマラナイから)私は何かこう……また、ここに存在し続ける意味を自分で見出すべきだと思っています。


それにしても断捨離ってなかなか進まないね(汗)
こういうデータをとっておくというのも、断捨離的には「過去に縛られてる」的なマイナス要因であるような気がしますが…やっぱ捨てられないなぁ。