日治時代の名残り


これ、阿嶽が「小六の時に参加した豊年祭のものだよー」ってフェイスブックで載せていた写真なんですが(ゴメン、参考資料としてちょっと拝借しちゃいます(汗))



これ見て、グッときちゃった。
写真に印刷してある文字を見て。
「花蓮縣壽豊郷月眉村七十六年豊年祭○マウラツ成年祭記念76.8.25」
…ってある。
ちなみに76年ってのは、民国76年のことで、西暦1987年、昭和で言うと62年のことです。
1980年代なのに、日本語(カタカナ)がフツーに使われてるということに、驚愕したのです。ちょっと時空が歪むような妙な感覚に陥る。
しかも戒厳令の時代ですよ?(1987年に解除されたから解除の年だけれど…それにしても)
当時この写真を配られた阿美族の青少年は、この文字が読めたってことでしょう?
なんだか胸の奥がジーンとして、せつないような気持ちになります。


この「マウラツ」っていうのは、日治時代に理蕃政策で区分された原住民の「社(村のようなもの)」の呼び方なのかな?と思うのだけど、調べてもどうにもわからない……。
阿美族の部落の名前を拾っていってもそこに、これと似た発音のものも見当たらない。
ネットで数時間調べただけですが、今のところ謎の言葉と化しています(とりあえずネットで調べて出てこないと途方に暮れてしまう…というのは、最近の私の悪い癖です。文献をあたってみないとわからないことはたくさんあるのに、その苦労を端折っちゃおうとするというね(汗))
いずれこれは調べて明らかにしようと決意しました。
また国会図書館行かなくちゃかな。


阿嶽台北ドームでの一大イベントである20周年記念コンサートを先週無事に終え、月末には故郷でのファンイベントである「阿嶽と一緒にサーフィンしよう集会」(←抽選で当たった人が20人参加できるらしい)を控えている、といったところ。
20周年記念コンサに関しては、私はあんまり興味なかったんで、なんとなくネット観察するのもスルーしちゃいました。
ちょっとだけニュースサイトで様子を見たけど…ああいった大掛かりなコンサートにありがちなエンタメ臭ってなんだかな……ってやっぱどうしても感じちゃって(汗)。
阿嶽が張學友みたいなことしてもねぇ(^^;っていうかさ。
本人もファンの皆さんもすごく楽しかったようですから、なによりですが。
私は個人的に独り占めしたいタイプだから、大勢が集まるドームコンサートとかって、そもそも全然興味ないのダー。*1
一人でポツーーーーンと歌ってくれる阿嶽が、私の心の糧なのダー。
私の阿嶽がいるところは、私と阿嶽しかいないところ。
でも、そういうファン心理を阿嶽はちゃぁーんとわかってくれているから嬉しい。


アーティストってのはいろんな形で、いろんな人の想いを支えているんだよね。
大変だな。
覚醒剤で逮捕されてる話題の人にも、そりゃたくさんのファンがいて、いろんな想いを託していたでしょうに…。ファンが気の毒です。
薬物に依存しちゃうなんて、それだけ弱い人間だったってことで、なおさらそこを愛して支えていこうと思うファンもいるだろうけどね。
阿嶽がもしああなったらどうだろう……って想像すると、私は余裕で許して受け入れて支えちゃうけどね(汗)。
阿嶽に関してはね、甘いよ私は。たいていのことは許せちゃう。
(今まで20年近く見守ってきた経緯から、人間性が著しく悪辣だとかそういうことはないという前提のもとに、ですよもちろん)
一番許せないのはたぶん、私のことを嫌いだって言われることかも(爆)。
それ言われたら、諦めるね、マジで。
めちゃめちゃ折れるわねー。想像したくもないわ。
別に知り合いでも何でもないので、それを言われる心配は今のところ無いけどw


*1:あ、でもsuper bandは別です!あれは巨大な会場であればあるほどイイwあのバンドでの阿嶽は、阿嶽であって阿嶽でないというか、みんなの阿嶽というポジションで成り立つので!