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ニエズ その3 白先勇の原作


Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学

Nieh-Tzu (げっし)  新しい台湾の文学


「ニエズ」(日本語読みで「ゲッシ」)の原作を読了。
すでにドラマで登場人物のビジュアルやキャラ設定が頭に入っているので、確認作業&未収録エピ&スピンオフ…みたいな感じで、楽しめました。
原作はボリュームのある長編ですが、翻訳も上手く、世界に入りびたってスイスイ読めます。
終わるのが惜しくて、最後の方はわざとノロノロ読んだりしてw
阿青の視点から描かれているので感情移入がしやすいです。センシティブな阿青の感性がとてもイイ。
風景と心情の見事な融合や、固有名詞を多用した具体的な時代の空気などの描き方も秀逸です。
ドラマはほぼ原作通りでしたね。
一番印象的な違いは、阿青の退学の理由となった相手の設定。
原作本では学校の管理職員との猥褻行為なんですが、ドラマでは初恋相手の同級生となっている。
これはかなりロマンティックに変わっています。
同級生との恋に変えることで、阿青の清廉な感じを印象付けることに成功してます。
原作本の設定だと、恋するピュアな心よりも性的な方に偏りすぎてしまう気がする。
その方がより「汚らわしく」感じるので、父親が勘当したくなるような理由にもなりうるのかもしれないけど。


龍子の印象もかなり違う。
原作の龍子はドラマほどバカっぽくない(爆)。
恋に狂う男ってだけでなく、体の不自由な男の子を助けてあげたりする優しい面も描かれいています。
阿青に対してもしつこくないし。
どうやら龍子は作者である白先勇と経歴が似ていることから、自己投影されたキャラなのではないか?と見る向きが多いようです。
「ニエズ」=「罪深き子」「災いをもたらす子」という意味で、その主題にもっとも当たるのは龍子であり、作者自身のことを指している…となると、かなり自虐が入ってるかもだけど、読者側が過剰に作者に摺り寄せて想像してるだけかもしれないですね。


原作にあったのにドラマに登場しなかった人物として、ユイ先生という存在が大きいです。
専門学校の英語の先生で、見た目もカッコよく、阿青と同郷の四川の生まれで、趣味(武侠小説を読むこと)も一緒で、すごく気の合う人です。
損得勘定なしに阿青に本当に優しくしてくれる、とてもいい人。
阿青は初めてその人の前で子どもみたいに泣きじゃくる…ということがあるんですが、その時の心情は実に深みがあって、いいシーンとなってます。
ユイ先生がドラマでカットされたのは、惜しいです。
阿鳳と龍子のエピを多く入れた分、ここがなくなった感がある(?)


私の好きな老鼠のエピソード(売られてきた女の子を逃がしてあげるところ)は、どう描かれているんだろう〜と楽しみにしてたら、あれは原作に無いシーンでした。
ズコー。
ってか、じゃあドラマではどうしてあのシーンを入れたのだろう?
…と考えたら、ドラマの脚本家に妙に親近感がわいてきました。
あのシーンに惹かれたのは老鼠(の見たくれ)や騎士道精神が好きだという以外にもう一つ理由がある。
あそこで出てきた歌です。
あれは「山の歌」だと思う(台湾の人がネットで「あの山の歌の題名は何?」と質問しているのを見たので、現地での認識も山の歌=原住民の歌らしい)。
つまり売られてきた少女は原住民なんだろうね。
そう考えるとグッとキちゃうのです。
(阿青が小玉を「考古学者」とからかうノリで言えば、さしずめ私は「民族学者」なのでw)


基本、白先勇の立ち位置は、どうしたって外省人としてのそれです。
主人公の阿青も、龍子も、傳師匠の息子も、父親はみな外省人で、軍人です。
国破れてこの島に逃れてきた敗残の兵たち。
そういった者たちの言葉でもって、この小説は成り立っている。
そこを考えながら読むと、ドラマを作る側とのちょっとした視点の差に気づくのです。
ドラマ制作側は、白先勇がスルーしている(というか、ほぼ眼中にない)原住民のアイコンをわざわざ投入している向きがある。
原作にない老鼠のエピに原住民の少女(?)を出して搾取される側の悲しみを描いたのも、(この部分、全然違うかもしれない。間違ってたらごめんなさい!私の思い込み、ってことで…)阿鳳のキャラクター設定もそうでしょう。
演じる馬志翔は、「自分は原住民だから原住民の役しかできない」と常日頃言っている人なので、阿鳳は原住民設定に違いないんです。
てか、馬志翔が出ている時点で、視聴者はそう判断するもんね(^^;。
ドラマでは、原作では触れられていない原住民の存在をあえて印象付けているような(そして常に弱者であったことも示唆しているような)気がするのは私の気のせいでしょか?
とりあえず、今はそういう時代になった、ってことなのかも。これも一つの民主化か。
戒厳令の時代はとっくに終わったのです。


白先勇父親は国民党の幹部というバリバリの外省人であり、中華の本流から外され、国際社会から疎外された国家「のようなもの」に甘んじなければならなくなった敗残の嘆きを抱えた一族の一人です。
私にとってはほとんどノータッチだった階層の人なんですよね。
(基本、私は原住民と日治時代のことを通して台湾に触れる機会が多かったので、かなりそちら側に偏っている自覚があります(^^;)
台湾人でもないし原住民でもないし、厳密に言えば大陸の中国人とも違う、日本統治も知らない外省人…。
そういったところから見ると、白先勇の描く「ニエズ」は全くもって「別の国」の出来事かと思うくらい、今まで接したことのない視点からの台湾像で、ある意味とても新鮮でした。
初めて外省人の「寄る辺ない」心に触れたような気がします。
物語の最初の一文
「我々の王国には闇夜があるだけで、白昼はない。夜が明けるや、我々の王国はたちまち姿を隠す。極めて非合法な国だからである。(中略)承認も受けていなければ、尊重されることもない。我々が持っているのは、単に烏合の衆の国民だけである。」
という、ゲイ・コミュニティを表わす描写を、当時の台湾という国家自体(それは国民党の国家、という意味ですが)のメタファーだとしている向きも多いようですが、たぶんそれは正しい解釈でしょう。
「ニエズ」という一言に込められた意味は、かなり深いなぁ…としみじみ思います。