「セデック・バレ」その4〜ウェイ・ダーション監督の日治時代へのまなざし


魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督は「海角七号 君想う、国境の南」でデビューしたばかりの46歳の新進気鋭の監督です。
最初に「セデック・バレ」を作りたかったのだけれど制作資金が足りなかったので、資金稼ぎのために作ったのが「海角七号」だったとのこと。
この「海角七号」が台湾映画史上始まって以来の興行成績をたたき出すという予想外の大ヒット(洋画を含めても「タイタニック」に次ぐ歴代2位)となり、一躍話題の人となりました。
そこで稼いだ潤沢な資金(それでもまだ足りず、ビビアン・スーが資金援助&ノーギャラ出演をしたことでも話題に)と、構想から10年以上という長い歳月の果てに作られた渾身の作品が「セデック・バレ」です。


正直な話、私は「海角七号」の良さが全く理解できなくて(汗)、どうしてこれが台湾で大ヒットしたのか謎なのです。
まぁ、映画の感想なんてのは人それぞれですから、それはそれで仕方ない。
でも、「海角七号」には妙に心に残る、ずっと忘れられない一つの「印象」がありました。
「印象」であって、どこそこのシーン、というわけではないのです。
日治時代へのまなざし…とでも言いましょうか。
日本に対する、「多桑」世代のノスタルジックな感覚とはまたちょっと違った、なんというか…感情の温度がすごく低い好意とでもいいましょうかね。(悪意はない、というのがわかるくらいの)
「昔、そういうことがありました」みたいな、妙にフラットな「日本」へのまなざしです。
そこにすごくひっかかったのです。


セデック・バレ」は抗日事件を扱った作品ですが、それでもこのまなざしは変わらずにそこにありました。
決して反日ではない。
もしかして親日…?
……と思えるくらい丁寧に気を使いながら日本人の事も描いている。
でも、その丁寧さが逆にこちらの襟を正させるというような感じなのです。
ウェイ監督はかつてインタビューでこの作品を作った理由を次のように話していました。

歴史を語ることで恨みを解きたいと考えた。歴史とは本来、非常に難解で、遺憾なことも多い。映画を通じて歴史を理解し、その時代の見方に立って、当時の人々の環境や立場を考えてほしいと思う。理解して初めて和解がある。霧社事件では、先住民族と日本人が文化と信仰の違いから誤解が生まれ、衝突した。衝突の原点に戻らなければ原因は分からない。「これは時代が作り出した過ちだ」と言えるようにしたかった。物事は善悪だけでは判断できない。日本側も先住民族側も完璧であるはずがなく、複雑な要素が絡み合う。「日本を好きか嫌いか」という簡単な質問では答えられない複雑な気持ちを分かってほしい。
(「毎日新聞」2011年10月20日の記事より)


私は基本的に、「台湾の人は親日」というとらえ方に懐疑的です。
台湾のお年寄りには日本が好きな人も多い…という本をそれこそたくさん読んできました。若い子に「哈日族(ハーリーズー)」がたくさんいるよ、とかも。
でも、そういう人ばかりじゃない、ってのは容易に想像がつきます。
多種多民族が揃っている奥深い台湾の一部の人たちをとりあげて、「台湾は親日」というのはあまりにも短絡的でアホっぽくて図々しい。
そんなノー天気に相手の好意を期待していいような歴史が二国間にあるのか?って話ですよ。
日本なんか台湾の歴史も、かつて自国がそこでやってきたことも、何一つ教えやしないじゃないですか(いいことも悪いこともですよ)
昔、台湾が日本だったなんて、若い子たちどれくらい知ってると思いますか?
侵略された!謝罪しろ!と叫び続けている国は、そういう歴史があったことを若い世代も嫌でも知らされますけどね(汗)。
それに比べて台湾は何も言わない。何も言わないのをいいことに、日本もなにも言わない。(「日本」ってのは「日本人」じゃなくて「日本という国」のことですよ。日本は国が何もしないから民間交流でどうにか台湾とつながってきたのです)
日本は台湾には甘えっぱなしです。
かつての兄弟を捨てて逃げてずっと無視、っていうどうしょうもなさです。
……好かれてるわけないじゃん。
昔兄弟だったから、ちょっと言葉が通じるくらいの話だよ。
そりゃ親日の人に会うとすごく嬉しいです。涙ぐんじゃうくらい嬉しい。
感謝の思いがあふれて、「もったいない」「ありがたい」と思う。
最初からそういうもんだとは思っていないから、なおさら感激する。
私はこちら側からずっと片思いをしている身なので(汗)、潜在的に自信がないというか、特にそういう感覚があるのかもしれないけど。
ホントはノー天気に「台湾人は親日」って思って、こっちもすごくフレンドリーに接していけば、それで次世代は仲良く回るのかもしれないけど。
でもなんだか、自信がない。
阿嶽なんかも思いっきり親日っぽいんだけど、それ信じて嬉しがってて果たしていいのか?って気になる。
日本人と原住民の歴史が、そこに嫌でも横たわる。
好かれるとは思えない歴史が。
いきなり話が卑近になって申し訳ない(汗)
けど、すべての始まりはココなので、どうしたってココに戻ってくる。
原住民は日本(日本人)をどう思っているのか?どこが好きで、どこが嫌いで、どうして欲しいのか?どう付き合ってゆけばいいのか?
…というのをとても知りたい、というところから、私は原住民のことを調べ始めるようになったのでね。
もはやイデオロギーとかじゃなくて単なる恋バナの域です。
そういうレベルの話から始まっているんでエラそうなこと何も言えない。
国家間の歴史と個人の感情がぐちゃぐちゃに絡み合ってワケわかんなくなっている状態。


そんな私の感覚に、ウェイ監督のまなざしが、実はすごく居心地がいいというのに気付きました。
インタビューからもわかるように、ウェイ監督自身がすごくフラットに、何のイデオロギーも交えずに、歴史として日治時代を描いている(描こうとしている)からなんですね。
こういう姿勢でお互い歴史を学んでゆけば、きっとすごく有益だというのは明らかで、それを「こういう感じで」と示したのが、「セデック・バレ」のような気がします。


実際に見ればわかりますが、この映画はこれだけ日本人が殺されるのに(私なんかそれまでは見たくも聞きたくもない大嫌いな霧社事件を描いているというのに)不思議と日本を嫌ってる空気を全く感じないのです。
ほんの少し…「もしかして日本人のことを少しだけ好きでいてくれているかも?」…という残り香が感じられるのがまた、日本人に対する気遣いのようで嬉しいのですが、その気遣いはとても丁寧で、こちらが図に乗ったらちょっと違うんじゃないか、って感じの気高さがあるのです。
要するに、非難してもいないけど媚びてもいない。
凛として台湾の歴史に立ちながら、コスモポリタン的な姿勢で俯瞰してみている。
国家や民族を超えて、人間にはいろんな人がいる。異なった文化や価値観の衝突もある…という差異を冷静に描いた上で、人が人を認めるという大きく情緒的な部分を細やかに伝えてくれるのです。
ウェイ監督は、本当にクレバーな人だと思う。


ウェイ監督の次回作は、またもや日治時代を描いた作品「KANO」です。
ウェイ監督はプロデューサー。監督は「セデック・バレ」でモーナと敵対する社の頭目タイモ・ワリス役を演じていた馬志翔(マージーシャン)です。
1931年(昭和6年)に台湾の嘉義農林高校が甲子園に出場して準優勝をした実話の映画化。
こういうのだって、映画化されて初めてその歴史を知る、って人が台湾にも日本にも多いんじゃないでしょうか。
すごくいい題材見つけてくるなぁ、さすがだな、と思います。
こんなに日治時代の作品が続くと、またもやウェイ監督はやっぱり親日?って思いがちですが、監督自ら否定してますねw
「台湾の近現代史を題材にするとどうしてもその時代になっちゃうだけ」なんだそうです。
これもまた脚本を書いたのはウェイ監督なので、あのまなざしがうかがえるのではないかと思うと楽しみです。


続きます。
次で最後にします。
長く書きすぎて自分でも何が言いたいんだかわかんなくなってきましたが、とりあえず飲み屋でダラダラしゃべってるって体で(汗)。