桜桃忌


夜中、古本屋巡りをするマッタン見たさに、以前も見た「内村オフモード」(今年の初めにここで書いてる。実にさらっと)を見返していて、そん中でマッタンが
「毎年太宰の誕生日の6月19日には太宰の小説を読む」
って話をしてんので、ハッ!と、気が付いたのですが…
まさしく今日がその6月19日じゃないですか(汗)。
太宰の誕生日であり、遺体の見つかった日でもある「桜桃忌」ですよ。
やー。びっくりした。
なんという偶然。
運命っぽい不思議な感覚。


桜桃忌の記念に(?)真夜中、一人で
「マッタンに手を引かれて玉川上水に連れていかれる自分」
っていう妄想に浸ってみたりしました。
マッタンの目が妙にキラキラしてて怖い。
ゆるっと結んだ細い指の白さ。
草履がぬかるみにズブッと入っちゃって気持ち悪い泥の感触が足の指にまとわりつくところまで想像してみたり。
マッタンは書生で、私は先生の奥さんで、道ならぬ恋に落ちてるのですが、実のところ恋に落ちてるのは私の方だけで、実は書生は先生への愛憎嫉妬の絡み合う複雑な思いを、その妻を奪っていくことで突破しようとしているんです。
単純な女と、こじれちゃってる複雑な男が、まるで一心同体にならない心中をしようとしてる、風な。
物語としては悪くない。
相思相愛じゃないところがかえってイロっぽいっていうか。
でも、生まれてこの方一度も死にたいと思ったことがない自分には、心中モノはなんだかぴんと来ない。クソ面白くもない。
心中なんて、ちょっと形の変わったDVかも、と思うし、相手がいる分余計に怖い(誰かと自分の命まで共有せにゃならんなんて)。
太宰は怖くなかったのだろうか?
死に急ぐ人の心は測りかねる。


そういえば。
「生まれてこの方一度も思ったことない」で思い出したけれど、最近映画の題名にもある
「まだ(自分は)本気出してないだけ」
って言葉があるでしょ?それを、
「私も毎日のようにそう思うんだよねー」
って話をしたら、旦那と娘に同時に
「マジで?そんなこと一度も思ったことないよ。そんなのただの負け惜しみじゃん」
ってツッコまれてえらくビックリしました。
ウソーー!って感じ。
誰もがそう思って生きてるもんだとばかり思ってた。
じゃ、なにかい?君たちはいつも本気出してるんかい?すごいな。(そういうことではないらしいがw)
閑話休題


私は太宰にはあまり馴染みがないんですが、それというのも自分の母親が太宰好きで、思い入れたっぷりだったもんだから、最初からある種のフィルターをかけて敬遠してしまっているところがあるような気がします。
そのせいでか、太宰に感化される人は「ダメ人間」じゃなくて、「ダメ人間に心を寄せてしまうわりとしっかりした人」なんじゃないかと思ったりする。
私の母は世話好きで、なんというか、ダメンズ好きなんですよ(爆)。ダメな人見ると、放っておけないというかね。言葉を換えれば常に自分が「してやってる」側に立ちたがる人、ということでもあるけど。
私は母とは真逆で、自分自身が「駄女(ダメ)」なのでね(要するに私は父に似たのです(爆))。ダメな人間の話にはうんざりしてるってわけ。
そんな私が読んでも太宰はイケるんでしょうか(って、太宰をダメンズと決めてかかって言っちゃってるけどw)。
もう一度読み返してみようかなぁ。


    ***   ***   ***


桜桃忌で印象的な句をひとつ。


他郷にてのびし髭剃る桜桃忌

                寺山修司


寺山が亡くなったのは私と同じ歳だったことをフト思い出して、なんという早世なんだろうと愕然とする。
こんなに若くして逝ってしまった寺山が、悲しくてたまらない。
若すぎる。どんなに無念だったろう。
いつもは年齢に負けちゃっている私も、そう思うとまだまだ若いじゃないかと思える。いろんなことをあきらめてしまうには早すぎる。
頑張ろう。


「内村オフモード」はチューブで見られます。↓↓
マッタンの着てる手編み風のセーターが凄く個性的で素敵なのに気が付いた。
これ、編んでみたいなぁ。(久しぶりにこういうこと思ったわ。最近、あまり手芸モードではなかったので)
それにしても私が昔行きつけだった喫茶店にマッタンも通ってることが嬉しい。
あそこのナポリタンは私の青春の味なのだー!