読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

その本を読んでいることはあえて言わない


最近、マッタンが好きです。彼が書く文章のファンっていうか。
書いてる文章を読むたびに少しずつ気になっていって、気が付いたらかなり好きになっていて、今では書店でその名前が載ってる雑誌(主に文芸誌)を見かけると、100パー手に取ってしまうほどです。
先月から新潮文庫でフェアをやっていて、文庫の帯にいろんな表情のマッタンがいたり、書店のPOPにファッショナブルな小さいマッタンがいたりして(超カワイイ!)、思わず「うわ。これ、めっちゃ欲しいんだけど!」と書店で大声を出して恥ずかしい思いをしたりしています。
↓これね。



マッタンは芸人だけど、そこにはまるで興味がないです。
私にとって面白い芸人ではないし。
ただ、タレントとしてはすごく新鮮な場所にいると思うんですよ。
なんというか、愛されやすい場所にうまく収まってるな、って感じ。
最初は、古書とか神保町とか(私の好きな)話題にやたら絡んでくるウザい芸人だなぁと感じてて、
「どうせたいして読書なんかしちゃいないのにキャラ開発のためにムリクリそういうニッチな趣味を後付けして売名しようってハラだろ?」
と邪推していたんだけど、時々見かける文章を読むと、
「あれ?そうでもないのかな」
って。
文章が上手い人は読書家である場合が多いです。
それは必然、っていうか。逆は一概に言えないけれども。
マッタンは読書家を標榜するくせにクイズ番組でバカを晒したりするもんだから、最初は懐疑的だったんですが、その書く文章を読めば一目瞭然で、彼は真に文芸の世界の人だとわかるのです。
たくさんの小説を読んできた者だけが持つ思考および表現法を、呼吸のように身に着けてる。
書く内容に関わらず、文章のリズムや言い回しが、すっ……と読みやすいというか、自然なのね。
自然なんだけど、パロール(話し言葉)とは違う空気がある。
小説をたくさん読んでいる人の表現ってのはおのずとエクリチュール的なものになる。
それは、読めばわかる。


彼は純文学が中心の人だから、エンタメ小説や小説じゃないものばかり読んでいる私とはちょっと世界が違うんですが、それゆえにいろいろと言ってることが新鮮です。
お蔭で、ちょっと純文学も読んでみようかなとも思うようになった。(その昔はちゃんと純文学も読んでたんですけどね…だんだん読むのがキツくなってきてた)


ちなみに表題はマッタンがよく書いてる自由律俳句の体でやってみました。
本を読んだ感想とかって人前でネタさらしするような感じで自分で書くのは好きじゃないのです(他人の書いたのは好きで、よく読みますが)。
よほど印象的だったりその都度の話題に沿ってちょっと触れる、ってのでない限り、自分が読んだ本をいちいち言いたくない。
いろんな意味で、「読んだ」というのが恥ずかしい本が私には多いんだろうな、と思う。
それは読んでる本自体が恥ずかしいのではなくて、読む私自身の自意識の問題なんですけどね。
多読乱読なので、その中から「これ読んだ」ってブログなんかでわざわざ書くのって、どうしても躊躇する。意味ありげなのがイヤなのね。
はたから見たらそこに思い入れがありそうに見える、ってのが。自分的にはそうでもなく、むしろ「そう思われたら心外だ」とまでも思うことが多いので。だから躊躇してあまり書かない。
まぁ、今日のエントリは躊躇してないけどw 
それはこれが「ワタシこの本読みました」報告ではなくて、単なる萌え告白だからだね。


お薦めマッタン本。


第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)


書評になんかなってない、推薦文でもない、感想文でさえない読書案内。
他の人が同じことをやったらブーイングものだろうけど、不遜な感じがまるでしないから得なキャラだなぁと思う。ここが、文芸界にとって彼が今後も(優秀な販売促進係として)宝となるであろうポイントかもしれない。


カキフライが無いなら来なかった

カキフライが無いなら来なかった


自由律俳句の本。
せきしろ氏との共著はもう1冊ある(「まさかジープで来るとは」)。
どっちも面白い。

「古本屋の店主が同い年」

とか、かなり好き。
深い。
同じようなこと思ってるヤツがここにいた、ってのがちょっと嬉しい。