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ラヴうた@「スカボロー・フェア」


2004年9月7日のエントリ再録


「Scarborough Fair」/Simon And Gurfunkel
(スカボロー・フェア〜詠唱/サイモンとガーファンクル



サイモンとガーファンクル(以下S&G)の楽曲の多くは、私にとって秋の日のテーマ曲です。
秋になると聴きたくなる。
いや、べつに夏聴いて悪いということもないんだけど。
彼らの曲はどれも好きで、「これが一番!」というのは実際選べないのですが、彼らの曲を聴くときに抱くイメージってのはだいたい一緒で、私なりにはこの曲を聴くだけでもそれは胸に広がります。
まぁ、代表曲、って感じ。


サンフランシスコがフラワームーヴメントに沸いていた同じ時代に、NYでは若者達はこんな空気に包まれていたのだなー・・・というのが、この曲(っていうかS&G全体)の個人的なイメージです。
でもって、私は西海岸的「ヒッピー」に憧れる反面、S&Gの描くそれとはベクトルの違う、思索的・内向的な若者にも憧れるのです。
ピーコートを着てレポート用紙を片手に図書館にポツンといる、孤独で冴えない若者・・・みたいな。


S&Gを聴く時、私はいつも19歳です。
季節は秋。
タートルネックの黒いセーターにジーンズという格好で、レポート用紙を抱えて古本屋街の薄暗い喫茶店の一番奥の席にいる。
独りきりで。
窓からは街路樹のあるバス通りが見える。
レポート用紙に書く内容は、人生にはほとんど影響の無い事だ。
例えば、「近代文学と苦悩について」、とか。
そんなことをまるで一大事のように考え込んでいるのが、その時の私。
私はいつもそんな気分でS&Gを聴く。


S&Gの曲ってのはオシャレだし、才気走ってるんだけどどこか未熟でいつまでも学生っぽい人が聴くような甘いところがある。
私が愛聴していても「いいんじゃないかな」って思える。
背伸びしてる感じがしない。
反戦を歌ってもイデオロギー的でなく、甘い。
世相を歌ってもどこかコラージュみたいで、真っ向から何か言う風でもなく。
ただ、そこには若者のもつ「それっぽい」雰囲気がある。
まだ何もかも始まってもいないのに、深刻そうに世の中が見えてるような顔をして、いっぱしの厭世家のような顔をしている・・・・みたいな。
でもそれは良く考えると極めて文学的な世界に近いのだと思う。
S&Gはとても文学的なんですよね。
例えばこの曲だってそう。
一体なにが言いたいのか皆目わからない判じ物みたいな歌詞。
西欧フォークロアの不思議なおまじない。
ささやかな反戦メッセージ。
その奇妙な交じり合いで醸し出される世界は、不可解な曇天の匂いがするジョイスの小説みたいでもある。


この曲が入ったアルバム「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」が発売された年、私は生まれました。
まだこの世の事を何も知らない私の周りで、こんなスゴイアルバムを聴いていたお兄さんやお姉さんが世界中にいた事が嬉しい。
素敵な先輩がいることにドキドキしながら、私は、自分のことを「あとから来た人間だ」というのをとても喜ばしく思うのです。
その思いは私の中の「憧れ」の萌芽でもあります。