地上にも星が溢れ


2005年8月1日のエントリ再録


ブログを読んでいると、読みながらそのブログ主の生活を想像してしまいます。
別に日記系のブログばかりを読んでいるわけではないのですが。

たとえば生活臭を排した論説中心のブログでも、必ずどこかにその人の生活の手がかりというのは読み取れて、そんな些細なことがまだ見ぬブログ主の輪郭を際立たせ、書いている文章そのものにも精彩を加えたりするのです。

ブログを書いてるのも「人」なんだなぁー、と唐突に思う。
読んでるブログの数はたかが知れているけれど、それでも、その先に無数の人間の存在を感じてしまい、果てしなくポツーンとした気分になるときがあります。

それは夜の電車の窓から、人家の灯りを見るときの気分に似ています。
それを見る私は、自分もその「圧倒的な無数のうちの一人」だという意識以上に、絶対的な孤独を感じるのです。
圧倒的な他者に対する、唯一の自分、という「関係」を思って。
でもその孤独は、揺り籠のように心地よく私を落ち着かせます。

どこをどういっても最初から私はここにいたのだという安心感。
それを感じるためにも、「圧倒的な他者」の存在を確認することは必要なのだと思います。
ここは決して私の王国ではない。


誰も私には興味を持たない。
誰も私の話を聞かない。
だから私は話す理由があるのだ、と思えるし、黙っていてもいいのだ、とも思える。
錯覚によって人は救われているのかもしれない。


あの人が見ていてくれている。
あの人が私の言葉を受け止めてくれている。
あの人が待っていてくれている。
それ、全部無いかもしれないけど。
きっと無くてもいいんだと思う。
私がそう思えていることが大事。


空にも地上にもネットの海原にも、星は無数に輝いていて・・・すぐそばにあるような星でも一生かけてもたどり着けないくらい遠いのだけど、でもその星の光は、すぐそばでキラメイテいるのだよね。

光はいつでも届く。