「わりなき恋」


クリムトつながりで、ついでに。
クリムトというと一般的に官能的な作風、というイメージがあって、つい先日読んだ岸恵子さんの小説「わりなき恋」の中でも、クリムトの「接吻」と「ダナエ」がモチーフとして出てきて印象的でした。
この2枚はとくに官能的な作品として語られやすいですね。(今回はもちろんどちらも展示されてません。門外不出、ですからウィーンまで行かないと見られない)


わりなき恋

わりなき恋


女優の岸恵子さんが、年齢を重ねた女性の、一回りも歳の差のある年下男性との恋物語を書いたというのが話題になってるこの小説。
「恥ずかしいことも堂々と書いた」、ということなので、私の知りたいこと(年齢差に対する引け目をどう克服して恋愛が成立するのか、みたいなこと)が書いてあるかもしれない…と思って、読んでみました。


結論から言うと、これは私とは違う人種の女性の物語で、私の求める答えはありませんでした。
この物語の主人公は溢れるほどに自分に自信のある女性なのです。
年齢と経験を重ねたゆえの自信に満ち溢れている。
エイジングコンプレックスなんて(信じられないことですが)実際にはほとんどもっていないといっていい。
歳をとるごとに自信を深め、プライドが高くて気の強い岸さんそのものから全く逸脱していないキャラ。
私は岸さん自身が好きなので、それはそれで楽しめましたが、まぁ、一般的ではないというかw
相手の男性も気持ち悪いくらい彼女を崇拝するんですよ。
相手が岸さんならそりゃそうでしょうけど、なんだか純粋に恋しているというより勲章をぶら下げたいタイプみたいでイケ好かない。
強引で身勝手な、私は絶対に惚れないタイプ(爆)。


主人公の心をざわめかせ、醜くするのは年齢差からくるコンプレックスというよりも、相手に家庭があることや他にも愛人がいるかもしれない不安のほうだったりする。つまり嫉妬ですね。
その点ではよくある不倫小説に近い。
ただひとつ普通じゃないのは、主人公がとてつもなく歳をとっている(70歳オーバー!)ということ。
喪失の不安、のようなものがずっと通奏低音のように物語の中に響いているのを感じます。
それはもう私の世代ではとうてい想像ができないくらいの確かさと重みで。


女性が若さ(のみならず命までも)を失ってゆく不安ってのが、性への渇望とかオンナとして自分は枯れるのかとか、そういう方向で描かれがちなのはわかるのですが、私の場合、問題はもっと手前にあるというか…年齢に格差を感じて卑屈になってしまうこと自体に問題があるので、なんだかピンときませんでした。
女の旬がどうとか機能がどうとかの話ではないんですよね。
だってエイジングコンプレックスなんて20代の頃からあるもん。
歳を重ねることに”年齢という数字そのものに”自信が持てなくなっていくのは、私以外にも多くの日本人女性がそうであるかもしれないくらい、日本人(および一部のアジア人)に特有の病理現象(いわゆる「フォーエヴァー・トゥエンテイワン」現象ってやつね。今、アタシが名づけたわけだがw)だと思うのだけれど、フランス生活が長い岸さんは、そんな感覚とはたぶん無縁なのでしょう。
年齢で物事が決まるなんて、きっと「バカバカしい!ありえない」って本気で思ってるに違いない。
フランスでは年齢を重ねた女性をカッコいいと尊敬する土壌があるもんね…
25過ぎたらオバサンって言われる日本とは大違い。
これはもはや文化が違うといっていいかもしれない。
根本的に「年齢」のとらえ方が違うゆえの感覚のズレは否めないです。
そもそも70歳過ぎた女性の性行為なんて想像したことも無いですからね…(40代だって想像するのキツイのに(爆))
もうそれだけでもありえなさに驚き続けることになる。
だって、一回りも年下の男性が(その人だって還暦過ぎてる)ベッドの上で「きれいだよ」とか言うんですよ?!70歳過ぎたお婆さん(失礼!)とつながりながら。
こんな世界がほんとうにあるの?
そういう男が稀にもいるとして(たぶんいるとは思いますが)、その言葉を嫌味でなく素直に受け取って恍惚となれる70代の女性というのにはどうやったらなれるのでしょうか?

ムリです!!(涙)

その自信の持ち方を、ぜひとも教えて欲しいところなのですが……最初から自信のある人に聞いても答えを知るよしもないですよね。


この小説、最後の(数年後の)シーンが秀逸でした。
あれがあるのとないのとでは印象がかなり違います。あって良かった。
この絵空事みたいな恋物語が、いきおい現実味を帯びてせつなく、普遍のものになる瞬間。
ミモザの花が印象的にいつまでも脳裏に残ります。