芥川賞と直木賞、その他


今回の芥川賞直木賞は、珍しく、発表されてすぐに読みました。
辻村さんの作品は短編集でしたが、どれも「ごく普通」の人たちの「ちょっとイヤな感じ」をチラっと覗き見するような物語。
ゾワゾワするような「あるある」感が、面白いです。イヤな男と不本意なデートをする羽目になる話とか、すっごくリアル!
内容的にも文体も、かなり読みやすい。
このくらいライトでないと、みんな小説を読まなくなってるのかもしれないね。


鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る


鹿島田さんの作品は、私はちょっと苦手でした。
感覚が大きく違う人の物語なので、いろんな部分に共感できない。
ごく客観的に「ああ、こういう生き方もあるんだな」という読み方をしてもいいのだけど、そんなことまでして読みたい話ではないし。
それとあきらかに文章のリズムが悪い。
何度も書き直したというけれど、そのせいかなと思う。そういうのは出てしまうね。
芥川賞はどうしてもこうした作品(=共感できずノリも悪い)が多い気がするのは、そもそも論として私の趣味嗜好が芥川賞向きではない、ということなんでしょうかね。
仕方がないか。ブンガクなんて趣味の世界だもん。


ちなみに辻村さんのは単行本買いましたが、鹿島田さんの作品は「文藝春秋」誌上に載ってるのを読みました。
いつも「なぜ芥川賞作品は雑誌掲載しちゃうのだろう?本を売る気がないのか?」と思っていたけど、単行本を2冊売るより1冊は雑誌で売っちゃった方が結局は売れるんだな、と自分が買ってみてわかりました(爆)。
まぁ、普段はどっちも買いませんけどね。読むとしたって図書館で読む。


文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]


どうでもいいですが今号「文藝春秋」誌上での中野翠さんたちの鼎談には呆れました。
なにあれ?くだらなすぎ。
あんな仕事でカネもらえるとか、読者を舐めすぎだね。
学歴ばかり高くて能がない人間の駄喋り(しかも上から)なんか、腹立つだけ。
翠さん、昔は大好きだったのにな。ハンカチ王子以降、なんだか残念な感じに…。
最近はもう面白いエンタメ批評ってめったに目にしなくなったなぁ。ナンシー関さんのいた頃が懐かしい。
そういえば、6月に出たナンシーさんの評伝も読みました。


評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」

評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」


かなり分厚の評伝ですが…
なんというか、ナンシーさんってこうして語られるのでいいんだっけなぁ…って気が、ちょっとした。
ま、語る人はナンシーさんではなくて彼女をリスペクトするファンである立場の人なのだから、好きなだけ語ればいいのだけどさ。
ナンシーさんの生き方とかどんな人だったかってのは私にはどうでもよくて、やはり彼女の仕事にずっと触れていたかったという思いだけが強く残ります。
今でもゴム版批評してほしいものがたくさんある。ナンシーさんだったらこれ、どう言うかな?って思ったりする。
ナンシーさんは、何か、エンタメ界の陸標みたいな存在でしたね。


ついでにもう一冊。
昨夜読んだ本。図書館から借りてきた。


花の埋葬―24の夢想曲 (集英社文庫)

花の埋葬―24の夢想曲 (集英社文庫)


坂東さんの作品は、時々読んでみたくなります。恐いもの見たさというかで。
読んで腹が立ったり、嫌悪感にまみれたりするのだけれど、本気でそう感じさせるほどに巧いので、それを確かめたくなるのかもしれない。
これはショート・ショートといった感じの短編集。
意外にも、この一冊で彼女の「手の内が見えた」感がしました。
こういったショート短編集で読むと、坂東さんの書く物語のパターンが非常にわかりやすく分類提示されてるように思えるんですよね。
展示室に並んだパターンの一覧、を眺めてるかのよう。
自分がまだ生きてると思ってる死者とか、急に時間軸がずれて今だと思っていた時間が過去のものだったとか、物の怪に対峙して「ああ、あれは私だ」と納得するとか、念だけが飛んでいって異次元で何かを体験するとか…。
大雑把にいって、そういうパターンの変奏がいくつも並んでいる。最後の方では全部読む前にオチが読めちゃったりしてね。
今まで読んだ坂東さんの小説も、みんなこのパターンのどれかに当てはまる。幽霊の正体見たり、という感じでした。
それが「坂東ワールド」ってことなんでしょうけど。
「桜雨」(名作です)を読んだ時の殴られたような衝撃は、もう二度と感じられないんだろうなぁ。