「孫文の義士団」


(一番好きなパターンのポスター貼ってみました)
完成以前から見たいと思いつつ忘れ果てて時は過ぎ…非常に遅ればせながら、昨夜やっと見ました(DVDで)。
なんだか久々に香港映画(まぁ、厳密にいうと違うんだけど、私の中ではこれは香港映画)を堪能しました。
懐かしい匂い。
泥臭くて溌剌としててエンタメでアクションが派手で荒唐無稽でお涙頂戴で…とーっても楽しかった!
人物の多さや時間の長さを感じさせないリズミカルな脚本が秀逸でした。
「運命の一時間」はそのまま一緒に体感できる感じ。
手に汗握る。
1時間で人間って、いろんなことできるんだな…
お金のかかってそうな見事なセットや時代の空気をうまく現出した映像にも目を見張ります。
もうね、最初のシーンからワクワクしますからね。
舞台も役者も最高のものを揃えましたよ!ってのがひしひしと伝わってきます。


孫文の義士団とはあれども、その面々はその場の思いつきで寄せ集められた者ばかり。
義士団の中には孫文が誰なのかも、自分はいったい誰を守っているのかもわからない人多数w
でも、彼らが狂信的な革命家ではなくて、それぞれが自分なりの「戦う事情」を抱えた市井の人間だからこそ、この作品は成功しているように思います。
彼ら個々人の事情が激闘に続く前フリの1時間で描かれているのだけれど、その部分が物語を重層的に支えています。


出演陣は噂にたがわず豪華です!
みんなすっごくはまり役でしたし。
しょっぱなからチャンパオ着た歌神の登場。「おお!!」とトキメいたと思ったら即退場(爆)
その衝撃さめやらぬうちに、弱腰インテリ炸裂な梁家輝、相変わらず精悍なサイモン・ヤム、時の流れを感じさせないドニー、恐すぎる胡軍、可愛いニコラス、いつも美味しいところをもってくエリック、マンガ過ぎるリヨン…などがつぎつぎ登場し、怒涛の勢いで暗殺団との死闘を見せてくれます。
断然好印象的だったのはやっぱりニコラス車夫のまっすぐな青年の純情可憐です。
キュン、とする。
辮髪やバネの効いたスリムな体つきもとても素敵。
もしかしてニコをこんなにイイと思ったのは初めてかも?
エリックもカッコよかったなぁ。
ワン・シュエチーとの「5分間の友情」シーンがイイ!男同士の暗黙の絆、って感じだ。イカす。
反対に思わず笑っちゃったのがリヨン。
もうね、リヨンの出てくるとこだけ過剰にマンガなんですよ。
笑う。申し訳ないけど笑う。
ドニーのアクションだってもちろん現実離れしてるんですよ。
マンガだっていやぁこっちだってマンガだ。
でもドニーのアクションは見とれるくらい美しいし、実際に体がすごい動いてるわけで、説得力ありまくりじゃん。
ドニーを観るためだけにこの映画を観る人がごまんといる、っていう代物なわけですよ。言ってみりゃこの映画のウリ、だよね。
リヨンはそうじゃないんだよ。その劣化パロディ、みたいな感じ。
過剰に上げ底感のあるユルい動き。滑稽なまでの四面楚歌で繰り広げられる、ものすっごいワイヤーアクションに唖然w
しかも武器は鉄扇です(!)。キメ顔がまた冗談みたいに可笑しい。
ダメ押しのようにチョロッと出てくるミシェル・リーに至っては「元カノか…w」って感じ。
リヨンは華があるので「添えました」感だけでも豪華なのでいいか、という気になるので、これでいいのだと思いますけどね!
「えーい、オマケにこれもつけちゃおう!」的なサーヴィスっていうかさ。これも香港映画の心意気、ですよ。
逆に言うとここに他の誰をもってきたらいいのか?って話ですよ。
ね?リヨンしかいないでしょう。
そうじゃなかったら偉仔だよねw あー。偉仔でも笑うな、きっと(でも、笑いつつきっと惚れる)


一番心に残ったのは王柏傑とワン・シュエチーの親子のシークエンスです。
この物語の核ですね。核ゆえに濃密に描かれている。
王柏傑の若さゆえの一途さに心打たれ、息子可愛さに心配でいてもたってもいられない父親の愛に胸が痛む。
父子の最後のシーンでは涙止まらず。
このお父さんはニコたち使用人にも優しいの。料理を作って食べさせてやる場面、仲人を買って出てやる場面、どれも頼もしい父性に溢れています。
だからこそ悲しみも深いというね…優しい人ほど悲しいのです。


この映画には見たくれ以上にイデオロギーとか歴史的な史実はほとんど描かれていなくて、フタを開ければそこにあるのはわかりやすいアクション・エンターテインメントです。
言ってみればそれゆえ安心して観られるのかもしれません。(中国で歴史モノを扱うときの心遣いはちょっとやそっとのものではないでしょうし)
個人的にはもうちょっと歴史的な部分に肉薄した感じの作品の方が好きかも…と思うのですが、それはそれで。
そこを承知で言わせてもらうと、そもそもあんな危険な場所に孫文を連れてこないで、停泊した船(たぶん日本国籍の船)に同志を行かせてりゃこんな犠牲は出さずにすんだんじゃん?と思うけど…どうよ?
無茶して上陸したおかげでめっちゃくちゃ無駄死に出してるぞ?孫文さんよ、それでいいのか?!って感じ。(ま、フィクションですが)
しかももったいつけて最後にアップになった孫文……

……だ、誰っ?

知らない人が孫文やってた…というオチに、ガッカリ感ハンパ無し。
そこはもうお約束の趙文宣(ウィンストン・チャオ)でいいじゃーーん!
趙文宣だったら説明無くても「ああ、孫文か」ってわかるよ?
この、最後のなんだかわけのわからないポカーンとした感覚は、孫文が誰かもわからず身を挺して死んでいった義士団の面々の「そんなの関係ねー」ぶりに重なって、しみじみとしたせつなさを呼ぶようにも思います。

結局、孫文って誰だったんでしょうね。

みたいな。
イデオロギーのためでなく、それぞれの愛や生き方のために「義士団」となった者たちの想いと「誰だかわからない孫文」は、うまく共鳴しあって物語を活かしている気がします。