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あの白い雲はどこへ


坂の上の雲」オープニングナレーション↓



このオープニングナレーションの中にある、

「かれらは、明治という時代人の体質で、前をのみみつめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。 」

という一節の、

「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば」

の部分に差し掛かると、必ず泣いてしまいます。
意味もなくひと泣きする(汗)
理屈ではなくて、どういうわけだかその言葉の持つ余韻のようなものに胸が詰まる。
この物語の題名が「坂の上の雲」である所以に打たれてしまうのです。
こんなことだけをとっても、司馬遼太郎というのはずいぶんと感傷的な歴史小説家であり、センチメンタルな感性に長けた日本人に絶大なる人気があるのもよくわかるような気がします。


毎回、本放送再放送と週に2度見ています。
しかし今回は見るのが非常につらいですね。
夢のある開化期の若者たちの立身出世物語から一変し、凄惨な日露戦争の戦場の描写が続いていくので。
このドラマを見るたびに、「国家」とはなんぞや?ということを考えます。(そして親子でディスカッションをしたりします)
旧弊な幕藩社会にしばられていた人々に夢や希望を与えたのも国家という概念であるけれど、国策としての戦争に召集をかけられ肉弾として異国に散る運命を受け入れなければならないという…そこまでの過酷な強制力を持つのも国家なのですよね。
後世の私たちから見るとあまりの理不尽に呆然とすることも多々あるわけですが、それでも、明治の時代に生きた彼らが、どれほどまでに「国家」を必要とし、国民であることを希求していたかを想像すると胸が熱くなります。
彼らの国民たることへの「痛々しいまでの昂揚」(オープニングのナレーションにある言葉。いい表現です)に、心打たれるのです。
この時代の国家概念を現代に当てはめて考えることなど到底無理な話ですが、そこを想像することから、歴史を学ぶことは始まるような気がします。
「どんな理由があっても戦争はダメ」という歴史観では何も本質がわからない(もちろんそれは真理なのですが、歴史にそれをあてはめては学びの放棄となります)。歴史を感情で判断しては意味がありません。
辛くとも、目を背けないで見ないと。
その点、気をつけるようにとお嬢に(自分にも)言い聞かせて見ています。
戦闘シーンはキツイけど(涙)見届けねば。


明治の日本人が憧れた、坂の上に燦然と輝くまばゆいばかりの「白い雲」。
「白い雲」が、「美しい日本」だとしたら、今やそれは幻想でしかないでしょう。
歴史ドラマを見ていても行き着くのはいつも、「じゃ、今の時代はどうだ?」というところです。
今の日本を見て、彼ら明治の日本人はどう思うでしょうかね。
もはや「生まれたてのまことに小さな国」では、とうにないはずなのに、未熟で幼稚で浅はかで理想も気概もない今のこの国。
政治家は政治力の有無以前に、ビジョンもなく誠意さえ持てない無能者の寄せ集めです。
官僚は既得権にあぐらをかき保身に腐心し、国土は震災と人災で損傷計り知れず、象徴であるはずの皇室もゴシップばかり。
庶民は不況の中、薄給と増税にあえぎ、しぼりとられた年金さえ返してもらえない時代を迎えようとしている。
これが「国家」だというのなら、国家なんてうざったらしくくだらない欺瞞装置に他なりません。
もはや国家などという古い体制にこだわる時代ではない、ということを誰もがどこかで思ってるんじゃないですかね。
大阪維新の会の勝利などを見てもそれは明白でしょう。
これからはどんどん小さな政府にしてゆくべきだ、年金制度なんかやめろや、増税?寝言いってんじゃねぇよ、うじゃうじゃいる公務員減らせよ…と、とりあえず私も強く思ってます。って、話が変わっちゃいましたよ(汗)


かつてこの国には美しい人たちがいました。
理想の国家を作りたいと強く願い、勤勉に励み、己の人生を賭した人たちがいたのです。
そこには痛みが伴い、過ちも失敗もあった。それでも粛々と殉じた無数の我慢強い人たちがいたのです。
私たちはそのことに驚嘆する。
かつてのこの国のいじらしいほどの純情と誠実に、消えてしまったあの雲のまばゆい白さに、是非や良し悪しを超えて深い感動を覚えるのです。


ところで歴史観というものをひとつのドラマ(とか、いわゆる司馬史観)で判断するのは違うと思いますが、これ見てるとどうして乃木希典が英雄だったのかがイマイチ掴めません。
指揮官としてはちょっと力不足のような…
想像するに乃木さんはその後の軍国主義思想において、絶好のイコンだったのではないでしょうかね。
粛々と軍命に従い(たとえそれが誤った戦法でも自己主張を出さず)、犠牲を厭わず、温厚誠実であり、天子に殉ずる…というね。
こう言ったら失礼かもしれないけれど、もしかしたら乃木さんも国家という幻想のために思い切り遣い棄てられた一国民なのではないかと、ふと思ったりもします。
いや、それだけではないな。日本人の心情に響く人だった、というのもある。
指揮官としては児玉源太郎の方がどうみても有能だったように思えますが、日本人のセンチメンタルに寄り添えるのは、児玉さんのドライで機能的なキャラではなくて、やはり黙って漢詩を詠み戦場を悼む乃木さんの方だったのかも。
明治の偉人の中でも私が一番すごいなぁーーと思うのは、高橋是清です。
この人のような「生かせるだけ自分を生かした」内容の濃い人生を歩んだ人はいないんじゃないかってくらい、すごい人です。
このような人が2・26の凶弾に斃れたことは皮肉のようにも思えます。ひとつの時代の終わりの象徴、みたいなね。