画家たちの二十歳の原点



足利市立美術館にて開催中の、話題の展覧会に行ってきました。
これはねー、久々にすごい企画展を観た!という感じでしたよ。
日本近代画家の若き日の作品を集中して展示しているのですが、画業を志そうと奮闘する感受性豊かで思索的な若者たちの作品が集中して置かれているわけですのでね、かなり熱を帯びた作品展となっています。
「二十歳ゆえの感受性」の激しさやせつなさが胸に迫ってくる。
画家の情熱の炎が、あちこちでボウッ、こっちでボウッと松明のように燃え立つのを見るかのようです。
思わず立ち止まり涙がこぼれそうになる作品もあります。


この企画展の秀逸なのは、作品としての絵画だけではなく言葉が溢れているところです。
それぞれの画家の作品の横に、本人(多くはその若き日の)が残した言葉と経歴が展示してあるのです。
それをじっくり読んだあとに、絵画作品に目を移すと、なんというか、それを描いた時の彼らの情念…悲しみや苦しみや悦びや燃えるような情熱を、ぐっと身近に感じることができる。
絵画の展覧会で言葉を介在させるというのはある意味邪道です。
言葉の対極にあるのが絵画なのでね。誤解も生むし、邪魔になる。
でも、この展覧会のコンセプトに限ってはこの展示方法がもの凄い功を奏しています。
ここに言葉があればこそ、たとえば翌年には肺病で夭折してしまう青年の未来への渇望と絶望をそこにありありと観ることができる。
この展覧会ではすべて”その後”がある人たちの作品が展示されている、というところに最大のポイントがあります。
私たちは彼らの”その後”を言葉で知り、”その後”をまだ知らないかつての彼らの思いを言葉で受けとる。
そこに物語が生じる。
どんな人生をおくったのかを知った上で遡って見る彼らの二十歳は、まだ未来が見えない二十歳そのものよりもはるかにせつなく胸をうつのです。
言葉の介在により、人生の無常と芸術の無窮を深く感じることができるのです。
たまにはこんな「親切な」展覧会もいいな、と思いました。


私の一番好きな画家・柳瀬正夢の作品も出展されていました。
画集は何冊も持っているけれど、やはり実物と会える日はとても嬉しくてドキドキします。
展示室のそのブースが近づいてくると、胸が高鳴る。
まるで恋人に会うような気分w
「自画像」(1920)、「運河(煙突のある風景)」(1920)、「川と橋」(1921)の3点が出てました。
どれも小さな作品だけれど、そのタッチは優しくて斬新でモダンで、やはりとても魅力的です。
正夢が20歳〜21歳の頃に描いた作品。
まさに”二十歳の原点”ですね。
何度も見返し、最後まで見終えた後また展示室に戻ってじっくりと見てきました。
こちら↓「川と橋」。



ネット画像じゃこの絵のよさは伝わらないと思いつつ…
このデフォルメ、すごいでしょう?
大胆なのに優しくてすごくセンスがいいのです。
それでいてちゃんと風景のもつ空気感を表現しえてる。
これが私の敬愛する正夢の天性のバランス感覚なのですよ。
この稀有な能力をもって、彼はのちに大正アバンギャルドの旗手となり、さらに油絵を離れて時代を風刺する偉大なる漫画家となってゆきます。
線の世界に移った正夢は、この天才的なバランス感覚を縦横に駆使して見事な作品を量産しました。
この絵を描いた頃の正夢は、まだ自分がそうなることは想像もしていないだろうことを思うと、何か胸がキュンとします。
画業の今後に不安を抱えて門司から上京したばかりの、まだ幼さの残る二十歳の正夢に「何にも心配要らないよ」と、そっと囁いてあげたい気分になります。


すでに巡回は足利で終わりのようですが、この作品展は本になって出版されています。
図録ではなく普通に書店で売っている書籍ですので、機会があったらご覧になってみてください。
ぐっときちゃいますよ。

画家たちの二十歳の原点

画家たちの二十歳の原点