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夢を諦めない

stage diary


「交換日記」補足ですが。
昨日書いた私の感想では、まるで若林が生まれ変わったかのように巧い芝居をやってのけた風にも受け取られそうですが、全然そんなことはないのですよ(汗)。…「ないのですよ」って言い切っちゃうのもどうかと思いますが、彼の芝居はどうしたってスキル的にはシロウトですからね。そういう意味ではちっとも巧くないの。
でも、すごく誠実に役に向かい合っていましたし、彼の精一杯の表現力を駆使しているのがありありと窺えました。
要するにとても頑張ってたのです。全力出しきって頑張っていました。
そこに彼独自の来し方とかキャラクターがない交ぜになって予想以上の感興を生んだ、という感じです。
時にそういうのって技術的に巧い芝居以上に胸に響くのかもしれません。
若林は初舞台に本当にラッキーな場を与えてもらえたのだと思います。これが今後の彼の自信になることは確実でしょうね。


イエハーの物語は、「夢を諦めない」ことと「夢を諦める」ことの話です。
自分の抱えた夢の行方を思い、ずっと心の中で自問自答してしまうような感覚が残ります。
「夢を諦めるのにも才能が要る」という劇中の言葉は、私にとってはものすごく説得力のある言葉です。どうしてもその才能がないのを切実に感じてるもんだから。
夢をかなえることもなかなかできないのだけれど、諦めることはもっとムリ。ムリムリ、絶対ムリ。
才能のあるなしというよりも…恐いんですよね。夢を諦めるのは、すごく恐い。
思うに、私にとって夢とは「いつか」を思い描くことなのです。
「いつか」私はこうありたいと思い描いた境地に、きっと辿り着くのです。それを夢と言うのです。
要するに可能性の話です。
たとえそれが安心毛布のようなお題目に成り下がっていることだったとしてもだ。それを抱えないで眠ることなどできない。どうしても手放すことができない。
私が夢を諦めたら、私の中から「いつか」がなくなる。
それはもう可能性を失うことのように思える…というか、未来を失くすことと同義なのです。
劇中で甲本が「俺、夢を諦められたんだぜ。それって、スゲーことなんだよ!」と言いますが、ホントそうです。
逃げ口上なんかじゃありません。ホントに、すごいこと。自分をゼロにする勇気がなくてはできないこと。


昨日、芝居が終わってから、お嬢がタカノフルーツパーラーでおやつが食べたいというので新宿に行きました。
舞台の高揚感冷めやらぬ気分で新宿の街を歩きながら、20年以上前もしょっちゅうこんな気分でこの町を歩いていたのを思い出した。



長いこと叶わない夢を見続けている自分の驚異的な未成熟に苦笑しながら、でも、そんな自分もなんか悪くないよなぁなんても思いながら新宿の雑踏を眺めていると、フッと温かいものが胸に溢れてきました。
夢を抱えてる自分は、ずっとシアワセだったなぁ…と。
そんなことに気づいたのです。
どんな時も、私を支えてくれていたのはこの夢だったのかもしれない。
叶わない夢を抱えているなんて、イイトシして恥ずかしいこと、人前では言えないこと、と思っていたけど(たしかにそういう感覚はぬぐえないのだけど)、実は私自身は大いに救われていたんです。
私はきっと後生大事にこの夢を抱えていくのだろうな。
で、相変わらず日々少しずつ夢に向かって何かをしていくのです。
”何か”とは、文章を書いたり、調べごとをしたり、資料を読んだり、想像したり…ってことです。
他人にはうまく説明できない散漫で一見無目的なこれらの行為は、結果的に私の人生なのです。
これが実を結べば嬉しいけれど、そうでなかったら「あの人、いったいなにやってたんだろうね」ってことになる。
でも、それでもいいじゃん?って最近は少し思えるようになりました。



パーラーでは30分並んで、桃のデザートプレート食べました。
美味し!