ハリーポッターDH Part2



公開初日、第1回目の上映に行ってきました。字幕版、3D。
3Dメガネが、これまで体験してたもの(頭の後ろでコードストッパーで止めるやつ)と違ってて、フツーのペロペロのサングラスになってました。これじゃメガネかけてる人にはシンドイんじゃん?メガネかけてる人には従来のモノが配られるのか?謎。


今日も朝から猛暑。外に出るとあまりの陽射しの強さに眩暈がする。
そんな中を、自転車に乗って映画館まで20分。暑さ負けしたのか、着いた時にはかすかに頭痛が(汗)
映画観る前からぐったりモード。これはヤバイ。早く涼しいところに退避して元気回復せねばっ。
シネコンの中は涼しく、人心地つきました。
まずはショップに行ってグッズを購入。こういうのは始まる前にやっておかないと落ち着かないのダ。売り切れる場合があるのでソワソワしちゃう。今回も帰りにチラッと見たら、すでに買ったモノがもう売り切れていましたからね。先手必勝よ。
買ったものは、パンフ、サントラCD、トランプ、メモ帳、マスコットコレクション、タオル、杖の箸…それと、ガチャガチャ1個(子どもか)
満足満足♪
ホクホクして、いよいよ最終対決の場へ!


えーと、まず最初に思ったこと…

なにこれものすごく暗いっっ!

いや、話が、ってんじゃなくてね、映像の画面照度が暗いんですよ。
終わって(エンドクレジットの最中に)3Dメガネを外して気づいたのだけど、この暗さは3Dメガネのせいも大いにある。
映画自体もともと画面が暗いんですよ、イェーツの作る画面はいつもそう。でも、今回特に酷かったのはこのメガネのせいだ。
だいたい、3Dで観る必要性もまるでなかった。そんなことしなくたってじゅうぶんに迫力も臨場感もあるのに。なんでモノを飛び出させなきゃいかんのか。もしかしてその方向性は映画を貶めることになるのでは?となぜ考えないのか?それほどまでに3Dでないと客が呼べないのか?
やっぱり私は3D映画が嫌いだ。何かが大きく違ってるような気がして、腑に落ちない。
とにかく、今度観るときは絶対2Dにしよう!と心に決めましたよ。


気を取り直して、内容に関して気がついたことをつらつら書いてみます。ネタバレ含みますので、知りたくない方はご注意を。


前回の続きからすぐに話が繋がっています。すっと物語に入れる。
まずはグリンゴッツ内部での争奪劇からドラゴンに乗っての逃亡までの一連の動き。ここに大興奮!
こういうのを映像で見られるから映画版はたまらない。ホント、よくできてます。
金庫の中で倍々に増えてゆくお宝の洪水なんてのも、すごく巧く撮れてる。ドラゴンの動きもすごくイイ。
脱出後、大自然の中に投げ出される開放感も、すごくポタらしいテイスト。こういう風景を見るのも最後か…なんてしみじみしちゃった。
そこからホグズミード→ホグワーツと場所を変えてバトルがはじまるわけですが、そこらへんはもう勢いで…っていうか、あれよあれよという間にどんどん出てくるべき人がやってきては揃い、それぞれ少しずつ見せ場がある(ちょっとだけ台詞があるとか、アップでチラッと映るとか)。ここからあの人とこの人が犠牲になって…と知ってる者は、意識して見てしまいますね(涙)。
アバーフォースの登場も淡々としていて、あまりドラマ性がないかな。
というか、映画版はダンブルドアの物語にはほとんど触れないことに決めて撮られたんですね。やっと気づきました(遅い)。
今回、もしかして若き日のグリンデルバルドとアルバスのエピソードがあるかも、と期待していたのですが、まったくのノータッチでした。だからアバーフォースも、騎士団の一員のごとくフツーにハリーを助ける人になってた。
同じように、親世代の騎士団メンバーも、その過去のことはあまり触れられずに終わっているのですごくそっけない。
同人誌では一番人気だと思われる親世代ネタは、映画ではほぼ無視されている。ていうか、よく考えたら原作でもさほど言及されてないのでした。そりゃあくまでもヲタネタで。すみません、私が邪道でした(汗)
いずれにせよ過去の確執などを描く時間は映画の尺にあるわけないのだから、ないものねだりはやめましょう。


で、問題のセブルスです。
この最終巻では壮大なるセブルスの物語がある。それをどう映像化してるかが今回、多くの人が注目するところだと思うんですが…
結論から言うと、それは私の予想よりも深く詳細に描かれていました。
正直、ここまでしっかりセブルスに時間を割くとは思ってなかった。嬉しい誤算だったわけです。
もっとも、ここをちゃんと説明してもらわなかったらあらゆる部分の意味が違ってきちゃいますから、端折っちゃいけない大事なシーンなんだけどね。
セブルスの物語はやはり哀しくて美しかった。
愛しい人を永遠に心に抱き続ける男の孤独な戦いを、リックマンがまたもの凄い迫力で演じていて、圧巻でした。
原作にあった、雌鹿のパトローナスを出して「永遠に」というシーンもちゃんとありました。涙がこぼれました。
意外だったのは、(ちょっと反転しますね)リリーが殺されたとき、その現場にセブルスが駆けつけ、その遺体をかき抱いて号泣するシーンがあったこと。そんなことがあったなんて想像したこともなかったので、このシーンは衝撃でした。セブルスはリリーに触れることさえなかったように勝手に思ってたのだけど、心から愛する人とのたった一度の抱擁が、その命絶えた後だったというのは、まったく接触が無く終わるよりもツライことだろうと思うので、セブルスの更なる悲しみの根源にふれるような気もしました。こういうのも映画ならではですね。


キングスクロス駅(=煉獄)のシーンは、自分の中で完璧にシーンが出来上がっていて、すっかり油断していたので、それとは違うものが出てきたので最初「え?」なんて思ってしまったw ポタは原作を読んだ段階でかなり明確に自分の脳内で映像化されてるんで、それが時々映画のシーンと区別がつかなくなる。この煉獄のシーンも、映画のシーンを観たばかりですが、相変わらず私の脳内シーンの方が明瞭で、そっちがガチになってるって按配。


ヴォルさんとの決闘シーンなどは何も意見はありません。ああして描くのがいちばんだったのだろうと思うので。
ただ、若干……マンガでしたね。デスイーターの皆さんの動きがさ(笑)山から歩いて来るんだよ。ザックザックと。そんなお疲れさんなことします??で、先頭にヴォルさんいるんだけど、まったく威圧感ないからね。お山の大将だってもうちょっとコワモテだろう、っていうね。
次々に亡くなってゆく人たちは、映像で流れるように触れるだけでした。
でもあれは、あのような見せ方をするのが最良だね。
あっけない死。そこに、死をヒロイックなものとして美化しないローリングさんの感覚がうまく現れてる。
戦争なんて、人間の命も心も愛も、塵屑のように放ってしまうだけのものなんだよ…というのがよく出ている。
それにしても、蘇りの石のシーンで今死んだばかりのルーピン先生がすでにいるってのに驚きました。センセ、お早い到着ですね(汗)
あちら側の面々を見ると、親世代が見事に全滅していることに呆然とします…よく考えるとこれがいちばん胸にクるわ(涙)
親世代から痛みとともに引き継いだバトンは、今回、見事にゴールに運ばれました。
すでに誰も見守る者も、庇う者も、助言する者もいない中で、ついこのあいだまで子どもだった彼らが最後まで戦い抜いたことに、しみじみと感動いたします。
この物語はホントに壮大な成長物語(ビルドゥングスロマン)です。だからこそ、これほどまでに胸を打つ。
あのネビルだってね!たいしたもんでしょう?トリオがいない間、彼が戦いの指揮を執ってたんですよ?!すごい成長ぶりじゃないの。


さて、ロンハー。
話題のキスシーンでしたが、実に自然でした。戦いの高揚の中でお互いの感情が弾けてぶつかった、みたいな。あの二人らしい、素朴で微笑ましく可愛いキスシーンでしたよ。
なんといっても、キスのあとの満面の笑みが良かった。実に良かった!
その笑顔のハー子さんは、ほんの一瞬、戦う女戦士の表情から、カワイイ女の子のものになっていたの。かつてホグワーツの教室で、ロンと冗談を言い合っていた頃の表情。ああ、この二人はずっとこうなる日を待っていたんだなぁ〜いやー長い道のりだったよ…と、グッとキちゃいます。
もしかして今日これから死に別れてしまうかもしれないという状況の中でのキスとあの笑顔。
泣けた〜。
願わくば、あんなずぶ濡れべったりな状態は避けて欲しかったですけどね…だってロンの髪が…(爆)
ナギニが襲ってくるとき、ロンがハー子さんをギュッと抱きしめて眼を瞑る一瞬のシーンもすごくステキでした。
ロンは抱きしめ方に表情があってイイの!すごく色っぽくて優しい感じ。ルパートは実にハグ上手だw


死の手が伸びてきていても、人は恋をする。
その、一瞬の輝きのなんとせつなく甘美なこと。
でも、同じ状況下にありながらも、なぜかジニーとハリーには恋のせつなさがあまり…というか、まるで感じられないんですよね。これは原作でもそうだったのだけど。私の気のせい?
ハリーは恋をするには抱えているものが大きすぎるのかもしれない。あんな宿命背負っちゃってたら、なかなか若者らしいロマンチックな気持ちにもなれないよね。
どんな状況におかれてもリリーへの恋を強く抱き続けるセブルスの方が、よほど色気があるっていうか。生きる全てのモチベーションがかつての恋にあるってのがすごい。恐いものナシですよね。セブの純愛は無敵。ヴォルさんをも欺き通しましたからね。


そして19年後。
ここは最後に撮りなおしされたシーン。当初の設定ではみんなが老けすぎてたのですごくヘンだったけれど、撮りなおしてすごくよくなってた。ハー子さんがきれいなこと!
そして、セブルスの名前を持ったハリーの息子の目はリリーの目を持っているんですよ。ウルウル〜(涙)。
ハリーたちも最後には「親世代」になって終わる。ビルドゥングスロマンの最後は、次世代へのバトンタッチだ。
「親世代」ってのは特別なものではないんですよね。親だって子どもだった。子どもだっていずれ大人になる。だれでもみんないずれ次世代を見守る側に行き、そしてやがては、あの透明な壁の向こう側に行くのだ…ということが、自然に描かれている。
ハリーは永遠に「生き残った男の子」ではない。もうそれは過去の話。すでに新しい話は始まっている。
このラストシーン(「9月のりんご」と個人的に呼んでるシーン)、せめてもう少し光があったらなぁ、と思いました。ハリーが最初にこの特急に乗った時のような青空や、輝く緑があったら、とね。ちょっとそこが心残り。


総評ですが、これだけ楽しみに待ち続けていたのでかなり自分の中でのハードルが高くなってると思いますが、実に見事なできばえ。期待を裏切らない作品になっていました。
とにかくあっと言う間に終わってしまった!うそぉ!ってくらい短く感じた。2時間以上あるはずなのにな。
キャラクターの表情一つ、セットの配置一つとっても細かいところまで作り手の愛情が感じられて、10年の集大成にふさわしい意欲作だと思います。
観終えた後は高揚してたけど、1時間くらいたったら突如、喪失感が襲ってきて泣けてきちゃった。
もうハリーポッターの新作は作られない。
その事実は、思っていたよりもやはりシンドかった。これからどうしよう。もう待ち望んで観る映画になんて永遠に出会えないんじゃないかとさえ思う。


ルパートがインタビューで言ってたことをふと思い出した。

「(ハリポタが終わってしまって)心にポッカリと穴が開くファンの人たちもいるかもしれない。でも、その穴も「トワイライト」とか、他の作品が埋めてくれるよ」

…っての(笑)
言うことが可愛いな、ルパは。
その言葉をちょっとだけ励みにしていこうと思います。
でもまだまだポタ熱さめやらずですからね。しばらくはこんなネタばかり書くと思います。