「ぴあ」のあった時代


さっきまで「芸人コーカン日記」の追加公演分のチケ取るのでチケぴにアクセスし続けていました。
案の定、まったく繋がらず。ツイッター見たら45秒で売り切れだってさ!
ナニコレ。焼け石に水もいいとこだー。
にしてももの凄いプラチナチケットだね。オクで10万越えも出たって話だし。もはやファンが群がっているだけでなく、「これは商売になる」と踏んだ輩が大挙して争奪戦に加わっていると考えてよかろうね。
しかしこの時代、混みあうことが予想されているサイトにおいて一向にアクセスできないというのはなんだろう?
大名仕事か?>@ぴあ


それはそうと。
昨日、圭くんとバヤシの対談が載ってるってんで、ものすごーーく久しぶりに「ぴあ」を買いました。
なんと、あと2号で休刊だという案内が出ていてビックリ!
でも、よく考えたらそれもそうですね。
今はこういう情報、全部ネットで調べるもん。わざわざ情報誌を買って調べようとは思わないよなぁ。
しかも「ぴあ」は安く無い。今では悲しいほどページ数も少ない。終わってゆくのも仕方ないのでしょう。


私が若かった頃(それはバブルの時代ですw)、「ぴあ」は愛読書でした。
必ず毎号買っていた。発売日を楽しみにして待っていた。
映画とお芝居とライブハウスと美術館のスケジュールを見るため、だったのだけれど、それ以外にも楽しみがあった。
それは欄外にいつも載っていた読者投稿でした。「はみだしYouとPia」っての。面白かったなぁ。
読者がどんどん面白い話を寄せてくる、ってのは勢いのある媒体の絶対的な力ですよね。当時の「ぴあ」にはそんなイケイケ感がすごくあった。
あとこれも欄外にあった求人情報。求人って言ってもバイトの求人じゃないよ。「バンドのベーシスト募集」とか「劇団旗揚げします、参加者募集」とか、そういうやつ。
東京の片隅にはいつだって創作を志す若者たちがたくさんいて、手を伸ばせば私も彼らと一緒に行動できるのだ、夢を共有する人間に出会えるのだ、という感覚は私をすごく自由にした。これがあるのと無いのとでは、気の持ちようがずいぶん違ったように思います。
ものぐさなので、結局、狭い世界で事足りてしまうのだけど、想像の翼だけは常に大きなインナートリッパーだったので、もうその感覚があるだけで十分だった。
「ぴあ」が対象としているのが「東京」という場に限られるということにも、当時の私には意味がありました。
もしかしてそれが一番大きなポイントだったかもしれない。
自分が東京にいる理由、というものが、「ぴあ」に象徴されているような気がしてた。
そう。80年代の「ぴあ」は私にとって、東京そのものでした。
及川正通さんのイラストを見るだけで、憧れとトキメキで胸がいっぱいになった。切り取って、今でも大切にしまってあるページもあるくらい。
時折その古いファイルを取り出してページを繰ると、若かった日のサブカルチャーに対する熱っぽい想いが蘇って胸苦しくなります。
いつの間にか、そんな感覚も遠いものになって、気がついたらもう20年以上「ぴあ」を買わずに過ごしていたのね。。。
さようなら、「ぴあ」。素敵な青春を、ありがとう!


追記:そういえば、当時は手帳も「ぴあ」のを使っていました。ぴあダイアリー。
毎日の欄に名言や名セリフなどが書いてあるのが好きだった。
それと紙質が抜群でした!薄くて書きやすい紙だったなぁ。