Freaky Flower

グルテンフリー生活実践中!

現在の状況と当日の記録


(現在の状況@宇都宮)
余震は少なくなりました。
今日の緊急地震速報は(気づいたものだけで)2回のみ。
震度3。ちょっとグラッとしました。
お嬢は今日、学校は休み。明後日まで休校となりました。
油はやはり少しずつしか売っていません。争奪戦です。どんどん減ってる感じです。
買出しに行くのも車を使うのは非効率な気がしますね。
今日は外出していないので、お店や町の様子はわかりません。
TVでは少しずつCMが復活してきていますが、大半がAC(公共広告機構)のやつなので、クドイ!
頭の中を同じCMがグルグル回ります。ありがとうさぎとかいただきまうすとか。
イヤなので夕方からずっとNHKを見るようにしました。
どうしてもTVは消せません。情報を得たいので。でも、津波のひどい映像を日に何度も見なければならないのが辛いです。
輪番停電、ウチはグループ5で、本日停電の予定だったのに、ナシになりました。拍子抜け。
やるんだったらちゃんとやってくれー。準備してたのに。ヤルヤル詐欺みたいなのって却ってストレス溜まるわ。
地震も心配ですが、原発事故が不安です。2号機、大丈夫なんかな?


地震当日の記録)
個人的な記憶を忘れないうちに書いておきたいと思います。
あの日、私は凄く怖い思いをしたのですが、その後いろんなことを知りすぎて(自分と被災者の方たちの被害の度合いがあまりにもあまりにも違いすぎて)すでにどんどん自分の経験を軽視し、過去のこととして忘れてしまいそうだったので。
なんというか、記憶を相対化しつつある(「あの人たちの体験した恐怖に比べたら私の恐怖なんてまったくどうでもいい。おこがましい」という感覚ね)。絶対的な記憶というのがあるはずなのに。


地震のあった日は、ボクちゃんの卒園式でした。
晴れていて穏やかで少し寒い日。
卒園式後は、昼から子どもと保護者で先生を囲む謝恩会でした。
新しくて綺麗なホテルのバンケットホール。天井が高くて窓が総ガラスの明るい会場でした。
そこで私は保護者代表の挨拶をし、フルコースのお料理を食べ、在園時に撮りためたDVDを観て、子どもたちの歌を聞いて、先生方一人一人と挨拶をしました。
すべてつつがなく終わり、たくさんのプレゼントやお花を持って、暖かい気持ちを抱えて三々五々皆が帰り始めた頃。
私も帰ろうと表に出たんですが、すぐ忘れ物に気がついて、慌ててホールに戻りました。
その瞬間、あの地震に遭いました。
私がホールの扉を開けた途端、会場に残ってた皆が「キャー」と声をあげたので「え?なに?私?」などとアホなリアクションをしたら「地震だよ地震!」と言われ、やっと自分の足元がグラグラしていることに気がつきました。
その途端、ゆっくり揺れていた足元が急に激しく動き出したので、パニックに。
「テーブルの下に!早く!」と会場の人に誘導され、いそいで宴会場の丸テーブルの下にもぐりました。
揺れがどんどんひどくなって、恐怖で頭の中はもう真っ白。
ボクちゃんをぎゅーっと抱きしめて、ママ友にしがみついて、もうひたすら悲鳴をあげ続けるだけ。
どんどん激しくなる揺れに、しまいには悲鳴も出なくなり、歯を食いしばって喉の奥でうーうー唸っていました。
無謀なアトラクションに乗せられて、「やめて!」といっても下ろしてもらえず、さらに激しく揺さぶられているような気分。
それがやたら長く続きました。
ガラス張りのホールは限りなくモロそうで、いつそれが割れるのか気が気でなく、建物の軋む音はまさしく恐怖の音でした。
「ああ、もしかしてもうダメかも」と、思いました。
揺れが収まった時はもう激しく脱力。ものすごくホッとしました。
ヨロヨロと立ち上がり、会場の人に誘導されて駐車場に避難しました。
広い駐車場の真ん中に集まってしばし待機。そこでも激しい余震が何度もありました。
今度は広い戸外でしたのでさっきより恐怖はなかったけれど、目に入る建物や電柱が尋常じゃないくらい揺れてるので不安は強くなるばかり。
お嬢と旦那に連絡を取ろうとしましたが、携帯は一切通じず。
お嬢の学校はボロッボロの校舎なので、さっきの揺れに耐えられそうにない…と思うと心配で心配で携帯を持つ手が震えっぱなし。
しばらく駐車場にいた後、様子を見ながら帰ることにしました。
家までは自転車で。途中、一帯が停電しているので異様な光景でした。
コンビニも家電量販店もスーパーも真っ暗。信号も消えてて、車がノロノロ運転するので道は渋滞。
あらゆる人が建物から出ているので、歩道は人で溢れかえり、混乱しないように警察官や自治体の人が交通整理をしたり、避難場所への誘導をしていました。遠くではサイレンの音が絶え間なく響いてくる。
そんな中、グラグラっと来たら広場に避難する、というのを2度繰り返しながらどうにか自宅マンションに着きました。
マンションでは在宅だった人たちが表に出ていました。
避難所に行くかどうかを話し合って、とりあえず様子を見ようということにしました。次に大きな揺れが来たら避難所へ行こう、と。
「部屋の中がもうぐちゃぐちゃ」「風呂の水が溢れてびしょびしょ」と聞いていたので覚悟して部屋に入りましたが、ウチは拍子抜けするほど被害がありませんでした。
お雛様のボンボリが一つだけ倒れていて、風呂場でシャンプーボトルが倒れて、レール式の引き出しが全部開いていたくらい。
あの激しい揺れの中で、お雛様は奇跡的にちっとも動いてなかったのです。涙が溢れました。よく頑張ったね、と。もっと早くしまってあげていたらこんな恐い思いをさせずに済んだのに。ごめんね(涙)でもホント良かった。
避難用の荷物を用意し、ボクちゃんにヘルメットを被せ、玄関先で靴を履いたまま、お嬢と旦那に連絡をとろうとメール打ったり電話したり繰り返しながら、時間を過ごしました。けれど携帯はまったく通じず。
だんだん日が沈んできて、あたりが暗くなり始める頃、なんとお嬢から電話が!
いろんなお友達の携帯も使って、100回以上トライしてくれたとのこと。(ウチは親子してソフトバンクなんだけど、これがなかなか通じなかったんですよ…)
お嬢は学校の体育館に避難しているとのこと。帰る道が不安なので、みんなと学校に泊まる、と。
とりあえず安全なところにいるし、先生方もついていてくださるのでその方が安心だと思い了解しました。
旦那とはその後、メールが通じました。「高速道路で渋滞にまきこまれてる。なかなか進まない」とのこと。
当分帰れない様子ですが、安否の確認をできたのでホッとしました。
家族の無事がわかったら、我に返った、という感じ。
コサージュのついたフォーマルウエアを脱いで(なんとその格好で避難所に行こうとしていたんですよ(汗))、普段着に着替え、お菓子と飲み物を用意して、暗くなった部屋に懐中電灯を吊り下げて、ラジオを付けて、やっと人心地つきました。
ラジオからのニュースを聞きながら、ボクちゃんと遊んだり編み物をしたりしていると、やがて旦那が帰ってきました。
すぐにお嬢を迎えに行ってくれて、夜10時過ぎになってようやく家族全員が家に揃いました。
その夜は子ども部屋のベッドに一緒に横になって、一晩中ラジオを聞いていました。
以上、地震のあった日の私の記録です。