久々に夢で逢った


先に断っておきますけど、くだらないです。
「呆れないでいてあげるよ」という優しい人だけ読んでね(汗)
自分では書いて残しておきたいのだけど、嬉々として夢の話をしてるってのも馬鹿っぽいので気が引ける。
なんだかんだ僻地ブログの強みで書いちゃうけどさw


昨夜久しぶりに阿嶽が夢に出てきました。
場面は鄙びた駅の待合室のようなところ。
4人がけボックス席の窓側に私が座っていたら、阿嶽がやってきて対面の通路側に座ったの。
チャコールのハンチングに黒縁眼鏡、スーツジャケットにコーデュロイパンツ・・・というスタイル。落ち着いてて大人っぽい。
わりと地味っぽい存在感で、他の人は気づいてもいない(てか、日本の田舎町に彼がいきなり現れた場合の自然なスルー。知られてないわけ)。
でも、私は一人で大パニック!!
うわ。ホンモノだよ。どうしようどうしよう!
ぎゃーーもうーーどうしよーーーーひーーー!!
・・・って感じ。
ド緊張のあまり顔が上げられず、冷や汗ダクダク。心の中では大絶叫。思考はグルグル。
あのね、そもそも私にとって「張震嶽の実物が存在する」ってこと自体がもう信じられないくらい奇跡的なことなのね。
実物に会う、なんて天と地がひっくり返っちゃうくらいありえなく思えちゃう。
夢の中でもどうしていいかわからない。
恥ずかしくて顔をそちらに向けられないので、窓の外をずーと眺めるフリをしながら横目でチラ見した。
あまりにも嬉しく、あまりにもステキなその姿に、心の中で再び絶叫しながら悶絶。
チラ見しちゃ悶絶、チラ見しちゃ悶絶・・・
それを、傍から見たら完全に無表情な状態でやってる私ってスゲェ!みたいな妙な高揚感と共に延々と繰り返してる。
しかもね、阿嶽ってば信じられないくらいカッコイイんですよ。
うつむいた顔の角度も、組んだ足も、本のページをめくる指も、すべてが奇跡みたくステキなのです。


窓の外は雨。
田舎っぽい地方の駅は全体的に薄い灰色の風景に沈んで見えていた。
季節は晩秋。時間は夕刻。
窓の外も、待合室の中も、墨絵みたいにボンヤリと寂寥感のある静かな薄闇に包まれている。
でも、阿嶽のいる場所だけがポッと淡くオレンジ色なんですよ。
寒々しい灰色の待合い室で、そこだけが暖かそうに見える。
多分私にだけ、それがそう見えるんだな、ってのがわかる。
待っても待っても列車は来ない。
時が、止まったようにさえ思える長い時間が過ぎ、私は少し冷静さを取り戻してきた。
だんだんと、なんだかこのままやり過ごしているのが惜しくなってきた。
どうせ周りは誰も気づいてないのだし・・・と、タイミングを見計らって、なんと私は思い切って彼に話しかけたのです!
一言だけ。
「我一直非常喜歓ニイ」と。
勇気を振り絞って、やっとやっとの中国語で「私、ずっとアナタのことが大好きなんです」ってね。
はたしてこの言い方でいいのか、通じてるのか、言い回しが堅すぎやしなかったかと不安になりながら、ダメ押しみたく「非常」と繰り返した。
しっかりと顔を見て、そう言った。
ちょっと声が震えた。
阿嶽はすごく嬉しそうにふわーっと微笑んで、でも照れくさそうに視線を外した。
そして優しい静かな声で(私の大好きなあの声で!)「早就知道了」と言ったのです。
「とっくに知ってるよ」と。口元にずっと笑みを残したまま。



・・・これで終わりなんですけどね(汗)
これだけなんだけど、思い出しては噛み締めてこの先数年はニヤニヤできるステキな夢でした。
私は基本、妄想族なので、そりゃもういろんな妄想しては日々ヘラヘラしてんのですが、夢となると意志や思惑とは別に物語が展開しますからね。
思いがけないサプライズだし、どこか暗示的だったり神秘的だったりするしで、より一層嬉しいものなのです。
完全にフィクションなのに、思い出になりうる。
まぁ、ちょっとした宝物ですよ。
ちなみにここここに以前見た夢の詳細もあるのですが、私はこれをしょっちゅう読み返してはシアワセーな気分になってます。
噛み締めるほど奥が深いw
キモチワルイと思ってもここはひとまずスルーしてくだされ(汗)



最近はもうずっと映画を見たりドラマを見たり小説を読んだり(張震嶽以外の)音楽を聴いたりしたい、という意欲が薄くなってます。
いろんなエンタメに対して扉が閉じてしまいがち。
なぜそうなってるかというと、自分の脳内劇場がいろんなエンタメよりもずっと面白いからなんですよね(爆)
編み物しながら、ひたすら湧き出る妄想にニヤニヤしてる。
それがもう楽しくて楽しくて、シアワセだけど馬鹿一直線、って感じ(汗)
今のトコ私にとってのエンタメの世界には阿嶽だけいればいい、と思ってしまってる。
阿嶽の作った曲を聴いて、演奏を聴いて、声を聴いて、詞を読んで、顔を見て、姿を見て、書いた文章を読んで、それらをネタに妄想してるだけでお腹がいっぱい。それ以外のものの入る余地がない。
他のエンタメを楽しめないという時点でもう、どこかが壊れているのかもしれない。ヤバイなー。


そういやスピッツが3年ぶりのアルバムを出すらしいんですけど、まるで興味がなくなっちゃってる。
お笑いもどうでもよくなってしまったし、TVも見なくなった。クラシックもBGMで聴いてる程度。新刊の本も新しい雑誌も”積ん読”状態。毎年秋になると見たくなるノーラ・エフロンの映画も今年は見てない。DVDを借りて新しい映画を見たいという意欲も起きない。
エンタメからすごく足が遠くなってるなぁ・・・って気がする。
まぁ、もともと受け身の娯楽に没頭するのをヨシとは思ってないし、創作は続けてるし、手芸もやってるしでボンヤリしているわけではないんですけどね。でもやはり、エンタメを楽しめる感性は枯れたらオシマイって気がする。馬鹿になるのは必至だし。
来月はハリポタ(映画、前編)があるので、そこまでにはどうにかこの脳内妄想癖を克服してロンドンにインナートリップできるようにしなくては。
他のものはともかく、ハリポタに乗れなかったら惜しすぎるからなぁ。