恋バナ、みたいな。

縦貫線super bandのアルバムを聴いていると、しみじみと思うんですよ。
アタシは本当に阿嶽が大好きだ、と。


この声。
聴けばトロけるこの声。
もうね、ガチガチのガチで惚れぬいているんだよなぁーと。
縦貫線の曲では、ひときわそう思うのです。
だってボーカリストが4人いるからね。その中にあの声が混じってる…という。ポイントはそこです。
比較対象物があるということ。差異を際立たせる声が他に3種類ある。それが効果絶大なの!
もっさいオッサンの声の中にあの愛しい愛しい可愛い可愛い(重要なことなので2度繰り返してみましたw)歌声があると、割増しの悶絶を運んでくるのです。
どんだけあの声がステキなのか、どんだけ天使の歌声なのか、もうしみじみと胸に刻まれるわけです。
アタシゃ永遠にあの声を聴いてたって飽きないね。
断言したよ今。撤回しないよ。
この世の全てのミュージシャンの中で、私が失いたくないのは阿嶽だ。
そう感じたらなんだかもう、その声を聴くだけでふにゃふにゃと泣きたくなってきてしまう。


そんなことを思いつつの今日この頃。
今まであえて気づかなくていいと思っていたことに、なんとなーく気づいてしまった。遅ればせながら。
私、ホントはずっと阿嶽に恋していたのかも、と。
(うわ。こう書いてみたらすっごい違和感(汗)自分の感覚がつかみにくいなぁ)
阿嶽は弟弟だから。めちゃくちゃ好きだけど、オトコノヒトとして見ちゃいないから。」
私は今までずっとそう言ってきた。
阿嶽はイトシくて大切で大好きな存在で、わりと無条件で全部許せちゃうほど好きだったし、あまりにも可愛く思っていたし。でも、そこまでの「全面的な好意」って、恋とはいえないだろう、むしろ愛だろう、それも絶対的な!と思ってた。
恋というのは早晩冷めるもので、阿嶽をそういうところにおいておきたくなかったってのもある。
離したくなかった。そのための「弟弟」だった。
でもさ、私はその「弟弟」に、実のところ誰に対するよりもドキドキしちゃってるんですよね。
緊張しすぎて逢うことすらできない「弟」なんて、どう考えても不自然だろ?


ライブを見に行くだけだというのに、生身の姿に逢うのが怖くてたまらない。「どうしよう!」とパニクって、ライブ会場に足を運ぶことすらできない。
目が合うことを考えただけで悲鳴が出そう。嫌われたら、と思うだけで涙が出そう。
そんなトンチンカンなド緊張に震えてしまう相手なんて、この地球上、阿嶽以外に誰もいない。
好きな芸能人なんて山のようにいるし興味の対象もコロコロ変わる。
私の「好き」は忙しいのダ。
けれど、日々私を楽しませる芸人、俳優、ミュージシャンの中に「怖くて逢えない」人など一人もいない。
「逢えない」と思うほど好きなままで10年超えてる人もいない。
そんなのどう転んでも、ずっと前から、阿嶽だけなのです。


あのメロディ。あの詩。あの才能。
あの声。大好きな、舌足らずで高めの甘い声。
それから、顔。大好きな顔。笑うときれいなアーチ型を描く眉。
きれいな手。上手な文章。特徴のある文字。繊細な感受性。異様に照れ屋なところ。孤高なのにフレンドリーなところ。他人から型にはめられるのを嫌がるくせに、すぐ自分を型にはめたがるところ。自然が好きで、動物が好きで、きれい好きで…
あれもこれも。その足りないところも、どうしょうもないところも、どれもこれも。みんな愛しい。

阿嶽は、私にとって「半虚構」の人で、たとえればネットの友人(今これを読んでるアナタとか)に近い人なのです。
実在する。
ちゃんと、地続きの場所にいる人なのね。
でも、触れられない遠い人。つながっているようでいて断絶している。
私はずっと、阿嶽のことを半虚構のまま棚上げしていて、あわよくばそのまま虚構の世界に沈めたいとさえ思っていました。
だってそのほうが楽だから。
そう思うのは、かつてリアルの世界に踏み出し損ねたことがあって、その記憶を思うと気持ちがざわつくからなのかもしれません。
私には、阿嶽のリアルになり損ねた、という思いがどこかにある。
それが良かったのか悪かったのかはわからないけれど、その時以来の複雑な思いが、私を病的に阿嶽から遠ざけさせてるように思います。
もう、機はとっくに逸してるという思い。
地続きであることのストレスを考えたらそれはもう眩暈がするほど負担が大きくてね…
だから棚上げしたままあんまり深く考えずにいることにした。
そんなこんなで12年目ですよ。
今やあちらは押しも押されもせぬ大スター。年商ん億のセレブであります(や、これは不確かだが)。
…遠いわぁ。
今や放っておいても虚構の人になりつつある状態となり、やっと安心して自分の気持ちの本質が見えてきたのかもしれません。手が届かないくらいのほうがいいんデスよ。むしろ清々しい。


だからって何が変わるわけでもないんですが。
最初からめちゃめちゃ好きだ!って叫んでるしねぇwいまさら何?ってなもんだ。どこが違ったんか?っつう。弟弟扱いしてたヤツに実は恋してたのですよねーなんて、ケータイ小説なみにツマンナイ展開じゃんか。
ただ、腑に落ちた、ってだけのことなんですよね。これからもやっぱり深く考えることはしないと思うし。
でもちょっと目からうろこで…舞い上がっちゃって(^^;;)。
PCからケータイから待ち受け阿嶽にしてみたり(爆)、CSのTVBを6年ぶりくらいに観始めたり。何やってんだって感じ。昔返りかよ。
とりあえず、ぼちぼちと中国語の勉強を再開してみました(お!)。
せっかく慣れ始めた語学から離れてく一方で、もったいないことしちゃってると感じていたし。ちょうどいい機会です。
阿嶽が昔「(これだけ書けるのだから)きっと話せるはず!」と言ってくれたのを支えに頑張ろうと思います。
当時はメールを書くくらいはできたけど、話すことなんて全くダメで…話せると思われていることが負担で腰が引けていた。
でも、いつまでも話もできないんじゃ、なにもできないまま終わってしまう。それではやっぱりイヤだなぁという意識が芽生えてきた。
トシのせいですね(爆)。
逢える機会は貴重なのだとか、ヘンなプライド抱えてるなんてバカらしいとか、やっと気づくようになった。もうね、年をとればとるだけチャンスは少なくなってくるんだからして。
今度来日なんてことがあったら、もしくは台湾に行ってライブ観たりする機会があったら、その時こそは逢いに行くつもり。逢ったらちゃんと、話したい。そうしないと、今度こそ後悔すると思うから。
いや、でも実際、明日会えると聞かされても私は動けませんけどね(^^;;)。
当分はまだ怖くて目の前に出て行くなんてできないと思います。
でも「そのビビリを克服してみよう」という目標をもったことだけは進歩かな、と思えます。←小さなところから一歩ずつ(汗)。
3年くらいを目途に考えてます。逢って話せる「最低限のスキル」と「勇気(!)」を持つようになれる期間として。
って…うわぁ〜(汗)。できるかなぁ。
でも、今できなきゃ一生できないんですよね。もう、私はそういうトシなんだということを自覚しないと。


てなわけで、怒涛の恋バナ記念に天使の歌声をひとつ載せとく。古い歌ですが。ウーバイセンセの曲ですが。
このMVのビジュアルが、私が一目惚れした阿嶽なのです。懐かしいひー。
アルバムで曲に惚れて、このビジュアルで激惚れしたの。
今見ても驚いちゃう。なんでこんなに可愛いのだ…( ゚д゚)ボーゼン。
阿嶽は「ビジュアルをどうこういわれるのはムカつく」とか言いますが、私は言うよ。だって好きなんだもんっ!こんな可愛いツラしてるアンタが悪いつーの。
こんな古いMV載せるとかwww本人にバレたら絶対嫌がられるぞ。こうやって嫌われるようなことばっかやっちゃう。メーワクなことで(汗)。