アデュー、花花。

気づいたら「花花街市」サイトがネットから消えておりました。
「花花」コンテンツは姐姐の契約プロバイダサーバーに載せてあって、そのプロバイダは3年前にはすでに使っていなかったので、いずれはこのネットの海からサイトが消える事はわかっていたのですが、昨日、ふと用があって何ヶ月ぶりかに行ってみたらすでに無かったのです。
ああ、本当に終わったんだなぁといまさらながら感じて、ちょっとしみじみしてしまいました。(いや、コンテンツは全部手元にあるのですけどね)


「用があって」ってのは、自分が第1回の花花に書いた阿嶽のページを見てみたかったんです。
久しぶりの原点回帰が嬉しくて、ネットの中でのアタシの原点をチラッと覗いてみたかったの。そんなこと、滅多にない(というかほぼ初めて)なんですけどね。
第1回目の「花花街市」では私はただひたすらに阿嶽を語りたいと熱望していて「張震嶽」という名前を書くだけで目の前にパーッと花が咲いちゃうような状態でした。
あの頃は阿嶽の情報を入手するのは至難の業でね。語りたいのに語るネタが無かった。
そもそもどこかに情報が転がってるなんて状況ではなく、入手し難い異国の雑誌の記事をかき集めるのが精一杯。見かねた事務所の方が写真を送ってくれたり情報をメールしてくれたりしてどうにか知ることができたりしたもんでした。
それがいまや、ちょっとググれば阿嶽を探せる。ネットの大海原の中にはあちこちに阿嶽の痕跡がある。
まぁ、本人がブログ書く時代ですからね、そりゃもう10年前とは隔世の感があります。
それでも私は、なかなか得られない情報を血眼で捜していたあの頃の楽しさを、今でも夢に見るほど懐かしく思い出します。
本当に楽しかった。
現地に行けば300円で買える雑誌を3000円出して買っても、あの楽しさと引き換えだったのだと思えば余裕でお釣りがくるくらい。
東京の雑居ビルの奥にある小さな中華芸能専門ショップにはお宝がたくさん潜んでいた。心拍数一気に上がる、みたいな興奮があった。眼が飛んじゃう、みたいなねw
あんな魅力的なお店というものにも、あれ以来出合った事がない。
大好きなものがあるというのは、本当に幸せなこと。
その情熱が去っても、記憶は一生の宝物になる。楽しかった記憶は、胸の中にずっと残って、私を幸せにし続ける。


好きなものは多ければ多いほどいい。
人の心の「好き」というチカラは、有限じゃないんです。100%ってのはない。100%かな、と思った先に500%くらいの容量が残ってたりすんの。その先にもまだある。要するに無尽蔵だわな。それに気づかないで愛情を出し惜しみしてるとろくなことにならない。
5つ好きなモノがある人と、1つだけ好きなモノがある人の、それぞれの「対象への愛情」は20%対100%ではないんです。そんなものは個々で異なるわけで、愛情の深さなんてものは他者からはとうていわからない。いくらだって溢れさせることができる。
私もいいトシになるまで、たくさん好きなものをもってるってのはそれぞれに対する思い入れが希薄でふわふわして軽いことなのだと思っていたけれど、それは違う、と最近になって気づいた。
愛するという行為は100%を分け合うものではない、ということ。それぞれが100%であっても余裕で成り立つということ。愛情ってもんは、とんでもなく無尽蔵なんだということ。
順位なんていらない。選別しなくてもいい。いくつだってあっていい。「好き」であること、それだけでシアワセになれる。
(好きなのにシアワセになれないというのは、愛情以外の感情が入り込んでいるだけのことなんですよ。独占欲とか、嫉妬心とか。人はそういうのを愛と錯覚するけれど、それはまた全然別の話。そういう余分な感情があるってのが恋であり、エロだったりするから捨て難くもあるんですけどねw)
「好き」が多い人ほど豊かでシアワセなんですよ。愛こそすべて、だ。暴力や戦争やイジメを凌駕するものは、それしかありませんしね!
って、話がずいぶんずれちゃいましたが話のついでに書いておくことにしました。
この10年で私が学んだ、一番大きなことなので。


「花花」がネットの海から消えた事は、「昔、姉妹と住んでいた家が、空き家になって久しかったのだけれど、久しぶりに行ってみたらさら地になってたよ」みたいな感じです。
どっちみち戻る事は無い場所なのだけれど、朽ちながらもそこに建物が残っているのと、さら地になってぺんぺん草が生えているのとではちょっと感じ方が違うんですね。
センチメンタルに考えればセツナイのだけれど、ポジティブにとらえれば、これでやっとあそこから卒業できるような気もしてます。
時代も変わった。人も変わった。
街も変わり、風景も変わり、興味の対象も変わり、あの頃30になったばかりだった私はすでに40を越した。
このまま年を重ねて、やがてここからいなくなる。あと何年か経つと、私はこの無窮の青空を見上げる事もなくなる。
人生なんてあっという間ですよ。1度しかないのにね。
だもん、ボンヤリしてちゃもったいない。
過去にこだわってる暇なんてないんでしょうね。卒業していかなくちゃ。次に行かなくちゃ。
私みたいにもたもたしている人間にとってはホントにいつだって時間が足りない。やりたいことはたくさんあるのに、時間はどんどん過ぎてゆく。
これからどれだけのことができるのか、残せるのかわからないけれど、くっだらない戯言書いてるブログしか動かせてない、ってのはなんだか不甲斐なく、かつての私にも申し訳ないような気がしますからね。もうちょっと骨のあることできるように頑張らないとだなぁ。
トシのせいか、10年前のあの驚異的瞬発力は、いまじゃなかなか発揮できないんですけどね(^^;;)。


「花花」はなくなってしまいましたが、そこで同じ時代を過ごし、同じ「好き」を共有した皆さんの記憶の中に、あのフザケたサイトが少しでも懐かしい匂いを残せていたらいいな、と思います。
皆さんが違う場所で、今でもたくさんの「好き」に囲まれていることを願いつつ。