「しあわせのかおり 幸福的馨香」

しあわせのかおり [DVD]

しあわせのかおり [DVD]

  • 発売日: 2009/04/10
  • メディア: DVD


全くの予想外でした。
観る前はまるで期待していなかったんです。だってこの題名ですし(中国語部分はごく小さく書いてあり、日本語の題名しか眼に入りません。ひらがなで「しあわせのかおり」。なんという凡庸な題名!と思いませんか?「しあわせ」って…そんな言葉でその概念をあらわそうとするなんて、愚の骨頂だな、と)、中谷美紀は好きでないタイプの女優だし、料理には興味ないし、とにかく地味そうで。でも田中圭くん出てるから仕方ない観とくか、ってな感じだった。
ところが!
こんなに観る前の予想をいい方に裏切ってくれた映画はないのではないか?というくらい、もう、本当に、ビックリするくらい素晴しい作品でした。
稀に見る良作なんじゃないですかね、これ。
とにかく映画としての矜持に満ち溢れているのを感じました。
俳優目当てで映画観るようなこんなユルい女にさえ伝わるほどに、脚本も絵も演技も演出も全てが見事に美しい調和の中にあるのですよ。
一つ一つの場面の作り方が実に映画的な計算に満ちている。
光の射す角度や、窓から見える景色の写り方、人物の配置、動きのタイミング、暗示的ディテール…そういうすごく技術を必要とするような緻密なことを、さりげなく、ごく自然に見せてくる上手さ。
もちろんウザ苦しい無駄な音楽なんて流れてない。この監督の耳にはipodは刺さってない。(主題歌、てなのはやっぱあるけどね、エンドロールで流れるやつ。邪魔です。いらんわな)
時々流れる胡弓の音が染み渡るほどイイのですが、それもラジオから流れる音源だったり、演奏している人の生音だったりするのが自然でいいです。
個人的な思いですが、胡弓の音色を聴いていると、中華迷だったころの「疼き」みたいなのが蘇ってきて胸が震えます。それがまたなんとも至福でした。


話自体は予想外のことが何一つ起こらない淡々とした流れに乗ってゆくのですが、それがちっとも退屈ではありません。
人間の心が細やかに丁寧に描かれているから、淡々とした日々の描写の中にもものすごくたくさんの感情を感じることができるんですよね。
いや〜ホント、上手いです。
ここまで中身がすごかったら、題名のダサさなどはもう不問ですね(^^;;)。
凡庸な包み紙に包まれた老舗の逸品、ってところでしょうか。


美味しいお料理がタップリ出てくるし、料理を作るシーンがメイン、というくらい調理過程が細かく描かれてゆくので、そちらに眼を惹かれがちですが、この物語の底にあるのは、家族の物語です。ひいては愛と希望をもって生きることの物語かもしれない。
懐かしい父、優しかった母。いとおしい娘や息子。その存在が、家族の愛の記憶が、時を超え、国を超え、孤独な者同士の共通の思慕となって共鳴してゆく。
私にとってこれ、すごく弱いテーマで…だからもう中盤からは泣きどおしでした。
いや、悲しい事件なんか起こりませんよ。悲しい事も予想外の事も起こらない、予定調和の中で全てがととのってゆくのですが、ただ温かな家族の記憶を話す人たちの姿を見るだけで、胸がいっぱいになってしまうのです。


料理人のワンさん(藤竜也)の料理店にも、その弟子になったタカコさん(中谷美紀)の狭いアパートにも、古びた懐かしい写真が飾ってある。
父母との写真。父との写真。子どもだった自分。自分の子ども。
ワンさんは妻子を病気で亡くしている天涯孤独の人。タカコさんは早くにお父さんと死に別れ、旦那さんも亡くしてしまったシングルマザー。
苦労を重ねている二人の人生に、懐かしい写真はいつも勇気をくれている。孤独でつらい夜も、愛しい亡き人の面影が、愛されていた記憶とともに寄り添っていてくれる。
そうやってどうにか頑張ってきた二人。
写真には物語性がありますからね。時間を自在に行き来できるような感覚(その写真の時代に心だけ瞬時に戻ってゆける自由さ、というか)も。そんな小道具の置き方一つにしても、すごく効果的なんです。
だから紹興でワンさんとタカコさんが二人並んで撮った写真が最後まで出て来なかったのかがすごく不思議です。
この時の写真は一つの象徴(新しい家族の)になると思うのに、あえてそれを出さない、ってのが演出なのかな。抑制の美、なのかもしれませんね。


紹興酒というのがキーワードになっているのにも、深い味わいがあります。
長い間熟成させる紹興酒が象徴的に表すのも、家族が重ねてゆく日々に通じます。
結婚が決まった娘さんがいる宴席で、その娘さんの歳と同じだけ寝かせた老酒を振舞うシーン。
23年という時間の深みを瞬時に髣髴とさせる酒に口をつけた時、花嫁の父はなんともいえないしみじみとした微笑みを浮かべるのです。
その父を前に、嫁ぐ娘が唄う「ホーム・スィート・ホーム」。
もうダメ…号泣。
このシーンには1から10まで愛情と喜びとで溢れています。
厨房のタカコさんとワンさんの愛情は見事なお料理と姿を変えて、新しく生まれゆく家族の祝いの席に運ばれる。それはまたタカコさんとワンさんそれぞれの再生の喜びでもある。
お料理を運ぶ臨時ボーイ(圭くん)も、見守る児童相談所の職員(甲本雅裕)も、次々と出来上がってゆくお料理とともに心が繋がってゆく。
しみじみと「しあわせ」な場面です。
(この時の部屋の様子、食器の音などもとてもイイのですよ)


中谷美紀は、私の中での印象が変わりました。今まであまり好きなタイプの女優さんじゃなかったんですけど、実に上手くて、見惚れました。
神経質そうな雰囲気もよく生かされていて…でも、いつものナマイキそうな雰囲気が微塵もないのが驚異だった。ああ、こんな演技もできるんだ!素晴らしいなと見直しました。
藤竜也は職人芸。ただただそのキャラクターの再現具合には見惚れます。ワンさんだった、まさしく。
圭くんは爽やか好青年。



タカコさんに密かに想いを寄せているのだけど伝えられず、ただ優しく見守っている。
頑張るタカコさんを助けたい一心で無茶したりもする青い青年なンでス(*^-^*)。圭くんらしいねー。
ま、地のままでオッケーってな役ですかね(笑)。その明るさ、一途さ、可愛らしさが画面に華を添えてます。
そして八千草薫さんですよ!ふっ、と笑った笑顔だけで越し方を想像させる圧倒的な存在感。素晴しかったです。
八千草さんと藤さんの心の通い合いも、長い年月熟成させた紹興酒にも似て含みを持たせた味わい深さが絶妙でした。あからさまでないのが全てにわたってイイですね。


ラストシーンは、とても印象深いです。
ささやかで、しかし極上の幸福感に包まれた新しい「家族」の寛ぎを、抑制の美に徹しながら見事に描いていて。
この表現の仕方もあまりにも静か過ぎるというか…ある意味冒険だとも思いますが、そこが実に効果的でした。
とにかく傑作。満足でした。
圭くんはいい作品に出ているなぁ(^-^)と思えた事もまた満足。