ハリーポッターと謎のプリンス

ハリポタ、2回目を観に行ってきました。(1回目は封切日に観た)
脚本家協会のストライキなどもあって公開までかなり待たされたのと、只今別のところにハマリ中ってことで、公開前はいつものように祭りをして楽しむということができなかったし、正直あまり没頭できてない状態で鑑賞しなくてはならないことが残念だったのですが、一旦その世界に触れると、やっぱりガーーッともっていかれますね。一気にテンション戻った。2回目観た後はもうドップリです。
ポタの底力はすごいわ〜。さすがです。


今回の映画はすっかり大人仕様でした。(いつのまにか「プリペット通り4番地」という童話のような始まり方もしなくなりました)
ポタの面白いところは、巻を重ねてゆくごとに対象年齢も主人公と同様に上がってゆくというところですからね。最初は児童文学なんだけれど、すでに違う様相を呈している。
ここ2作を監督しているデヴィッド・イェーツの世界観ってのがかなり原作の空気をよく汲んでいると思います。
雰囲気作りだけでなく、エピの取捨選択とか、まとめかたも上手い。


ヴォルデモート復活の後、世の中は不穏な空気に満ちている。
大人たちの苦悩は深まり、ハリーも校長も命がけの闘いをしている。ドラコに至っては悲壮感に満ち溢れていてせつないことこの上ない。ペンシーブの中でトム・リドルは不敵な笑みを浮かべ、デスイーターは跋扈し、セブルスは相変わらず不穏な行動をしたあげく、ラストに例の事態を引き起こす。
その混乱状態の中にあってはもはや学園生活の楽しさとかなんちゃら言ってる場合ではないわけです。
それにもかかわらず、今回、アタシの一番の見どころはロンハー(ロンハーって、言わずもがなですがロンとハー子さんのことですよ。ろんどんハーツのことじゃなしに←最近こっちの話題をブログに書いたりしてますが、私が好きなロンハーはハリポタのロンハーですからね!)の恋の行方だっつーのがこれまた(汗)。
いやー、世の中大変なことが起きている時でも人は恋をするんだよ、ってことでひとつ。
ポタはとても懐の広い物語なので、夢中になるポイントはあらゆるところにあります。もちろんこれ以外のツボもたくさんあるのよ。でも、やはり一番気になるとこはそこだった、とw


そんなわけで、今回はルピ先生萌えも親世代萌えもゼロでして、ただひたすらロンハー萌え炸裂でした。
ロンハーに対する想いは5年越しですからね。
最初に私がロンハーに目覚めたのは「秘密の部屋」でした。
この時の予感に違わず、今ふたりは「やっと」収まるべきところに収まってくれました!
感無量。
さんざんまわり道をした挙句、遠き道のりを越えてたどり着いた約束の場所、って感じです。
ハー子さん、本当によかったね!(感涙)。



ロニィのうすい金色の睫毛が大好き。
ああ、冬に見たかったなぁこれ。ポタは冬のイメージだよね。ロニィはひときわ、だ。
燃えるような赤毛、金色の睫毛、ざっくりとした手編みのセーター、暖かなコート、手袋の下の冷たい掌…
雪の中、「三本の箒」に出かけた時の撮影時ショット↓
このロンの風情、めちゃステキ。髪、ぼさぼさでw



全体の感想を文章にしてうまくまとめることができそうにないので、以下、気づいたことを書いておきます。


■ロニィがハー子さんに2度も「顔になにか付いてるぞ」と指摘をしていました。
1度目は歯磨き粉、2度目はバタービールの泡。でした。
このことがきっかけで、ハー子さんは魔法薬学の授業でアモルテンシア(「惹かれるもの」の匂いを感じる薬)を嗅いだ時に、「スペアミントの歯磨き粉」の匂いを感じてあたふたしてしまうんですよね。
歯磨き粉のエピは原作にはありませんが、原作ではまた別の何かの匂い(作者はずばりロンの匂いだと言ってるとか)を感じて顔を赤らめます。
話は元に戻りますが。
「顔になにか付いてるぞ」と指摘する場面を何度も入れたところに、監督の意図が見えるような気がするんですよ。
だってこれってさ、二人がホグワーツ特急の中で最初に出会ったときにハー子さんがロニィに「鼻のトコ、なんか付いてるわよ」って教えてやったこととリンクするんだもん。どうしたってそれを思い出す。思い出させようとしている。
要するに二人はずっとお互いのことを気にしていた(しかも似たような表現しかできない不器用さで)ということの象徴として、このエピを作ったのだ、と思うのよね。
ああ〜胸キュンだ。
話はズレますが、アモルテンシアに関してスネイプ先生のファンの方がブログに書いていたことが印象的で忘れられません。
「若き日のセブルスも、きっとアモルテンシアを嗅いだに違いない。その時感じた匂いはリリーのものだったのかも」っての。なんか、そういうの考えると途端に親世代萌えが始まり、ワクワクしてきちゃいます。
ジェームズもリーマスもリリーの匂いを感じたかもしれない。その時の3者3様の心の内を想像すると胸にキます。
(で、シリウスリーマスの匂いを感じてアタフタしてたりしたら可笑しいw)


■クィディッチでのロニィのカッコよさが最高潮でした。
自信がないときのロンはとことんダメンズヘタレ野郎なんだけど、調子に乗ると若者らしい生き生きしたオーラが出てステキなんですよ〜。もともと陽性の人だしね。
ラベンダーがクネクネキャーキャー言っちゃうのがすごーーくよくわかる!それ見てハラハラしてるハー子さんの不安も痛いほどよくわかる!
ライバルのコーマック・マクラーゲンってのがヤなヤツでw(でもイケメン!)、そいつを呪文かけてコケさせちゃうハー子さんがステキでした。こういうところで魔法を使ってズルするなんて、以前のハー子さんだったら絶対にしないことなのに。
恋って謎だね。


とはいえ、ロニィはやっぱり素晴しきコメディリリーフです。
幸福薬飲んだつもりでナチュラルハイになったり、調子に乗ってラベンダーとつきあってヘトヘトになったり(「ウォンウォン」なんて呼ばれて、ラブペンダントを無理矢理つけさせられ、あのテンションでキス責めw)、惚れ薬の入ったお菓子を食べて死にそうになったり…とにかくもう、ひっちゃかめっちゃかで可笑しいです。
双子兄にさりげなくいじられてたり、妹のキスシーン見て逆上したり、ウィーズリー兄妹とのやりとりも相変わらず楽しいw
恐怖と戦いながら命を張った秘密活動をするハリーやドラコとは全く違うお気楽ぶり。


■今回一番頑張ってたのはドラコです。
恋だのクィディッチだのどこの世界だ?!ってくらいのギリギリなところで命張ってました(ハリーは常に危機と対峙しているけれど、恋したりクィディッチしたりする余裕は常にあるんだよねぇ)。
自分の任務を遂行しないと自分が消される、という極道社会のような構造のデスイーター社会の若き人身御供。
可哀想でたまりません。もはや取り巻きもいなくて孤独になってたし(実際、演じてたとりまき俳優も大麻で捕まった)。
ハリーに「セクタムセンプラ」(強烈な敵対呪文。「半純血のプリンス」が考案した不出の呪文)をかけられたドラコがみるみる血に染まってゆくシーンなんか、あまりの心もとなさに涙が出ました。
この時のハリーが、決して「してやったり」ではなく、ドラコの心配をしているところに二人の関係性の変化も見て取れます。敵対する相手なのに、ハリーはドラコにどこか哀れみを感じている。
このシーン、何かの象徴みたいにも見て取れました。プリンス(→あのヒト)が考えた呪文をハリー(→闇払い)が手に入れ、それをドラコ(→デスイーター)に使う…しかも、使ったことを後悔する、というのが。考えすぎかな?
↓追いつめられてゆくドラコの吐きそうなほどの緊張感がよく出たシーン。



■ルピ先生は隠れ穴(ロンの家)のシーンで若き嫁・トンクスと登場。
もうすぐ満月なので疲れ果てて神経質になっていました…
なんかね、前回と違ってびっくりするくらい「いてもいなくても」度が高いんですよ。とりあえず元気な姿を見られて嬉しかったですが。
シリウスがいなくなってしまった今、もはやルピ先生の立ち位置が私自身わかんなくなっている自分にちょっと気づきました。
シリウスがいない世界はここまで寂しいとは。
↓ルピ先生近影。



■若き日のトム・リドルがすごく存在感ありました。



以前、「秘密の部屋」で出てきたリドルはちょっと神秘性に欠けるというか、後のヴォルデモートに通じる邪悪さや聡明さが感じにくかったのですが(良く言えば普通に好青年)、今度のリドルは可愛いのにちょっとキモチ悪くて邪悪さもあっていい感じなんですよ。
ブルネットの髪&瞳が緑なところも生粋のスリザリン生というイメージ。
さらに幼い頃のリドルを演じた子はかなり美少年ですが、レイフ・ファインズの実の甥っ子なんだそうです。


     *     *     *


延々と話していられそうですが、長くなるのでひとまずここまで。


映画、あと2作で終わってしまうのね。
原作にいたっては残り1作ですよ(涙)。
原作の最終巻は今回の映画を観てから読もうと思って大事にとっておいてあります。
読みたいけれど読みたくない…だって読んだら終わりだもんね。もう続きがないなんて信じられない!
ポタマニアの悲しさで、ネット巡回中にいろいろネタバレを目にしてしまっているので、そういう意味でも読みたくないんですよね。ダメ押しみたいに確認するのもイヤで。でも読みたいなぁぁぁ。ジレンマ。
ふと思ったけど、「謎のプリンス」って題名、イマイチじゃない?「半純血のプリンス」の方がいいような気がします。
「半純血」ってところに、セブルスの強烈なこだわり(つまりそれはその後の人生までをも変えるこだわり)を象徴しているのだもんね。