「愛を読むひと」と「朗読者」

シネコンで利用できるロハ券の有効期限が今日だったので、なんか観ないともったいない!と思い、全く映画を観る気分じゃないというのに、雨の降る中、無理矢理重い腰を上げてシネコンに行きました。
で、なんとなくチョイスしたのがこの作品。
TVスポットで平井堅の歌がバックに流れていて、「安易だ。ウザー」と思って印象が悪かったんだけど(洋画のプロモで日本人歌手の歌をつけるのってすごくイヤ!)ポスターに載ってる主演の男の子がかなり私の好みの顔だったので。それだけの理由で。


そして2時間後、私の内なる世界は変わっていました。



運命、だったのかもしれない。今日、この映画に出会うことは。
誰にでもどこかしらに共感を呼ぶのではないかと思える多層性のある、いろんなことを考えさせられる作品でした。
かなり官能的で刺激が強いのに、社会的な問題を問いかける深さをも持つ真摯な物語。ラブストーリーなのだけれど、恋だけに終わらない。
恋すること、愛すること、罪とは何か、恥とは何か、贖罪とは?年月とは?物語とは、何か。
観る側の意識によってどの部分がクローズアップされるかが分かれると思います。
私にとってのこの映画の中での気になるポイントは「年齢と学識におけるプライドのあり方」でした。
この両方は私のコンプレックスに抵触するので(もちろんハンナの場合は更に深刻ですが)、ハンナの辛さがどれほどだったかわかるようなシンパシーを感じました。
加えて彼女は過去に耐え難く辛いものを抱えている。それを思うと想像を絶する。
とりあえず、ハンナの過去にまつわるエピソードに関しての感想はここでは詳しく触れません。複雑になるから。
でも、一つ言えるのは、ハンナの過去の仕事と彼女の個人的な秘密とは密接に関係しているのだということで…その事実から彼女の育ちがとても貧しかったということがおのずと導き出せるのです。彼女の人生がどんな場所から始まっているのかがわかると、見えてくるものも違ってくる。
ハンナの放った一言に皆が返答できず立ちすくむのは、それがハンナだけの問題にとどまらないからで。
「あなただったらどうしましたか?」
という、それは永遠の問いです。
過去に傷つき、自分の秘密がばれないように怯えながらびくびくと過ごさねばならない人生に、ふいに飛び込んできた一途な少年を、彼女はどんな気持ちで迎えたのだろう?


観終えた後、震えるほどキーボードを欲していました。溢れ出る想いを言葉に換えたくて。
頭の中でわんわんわんわんと廻り始めた言葉たちが出口を探しているようだった。
これって、ものすごい官能に触れてたまらなくなってしまい、自慰行為に及びたくて焦ってるという状態に似てるのかもしれない(苦笑)。
言葉を繰り出すことすなわち、私にとってはそういうことに近いかも、と思うので。
でも、実際はとりとめなくまとまりのない韻語のような断片が出てくるばかりでもどかしいんですけどね。こんなレヴューさえも、上手く書けない。


映画館から出てすぐに本屋に寄り、原作の「朗読者」を買って一気に読みました。

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)


この作品、数年前に川本三郎先生が勧めていたので図書館で借りて、なんとなく気分が乗らずに読まずに返したのです。
その時は、まだ出会いの時ではなかったのですね。今、出合った事に意味があると思える。全てのできごとには意味がある。
原作の小説は映画よりもかなり哲学的(というか、内省的)な内容が独白の形で綴られてゆく。世界は主人公の目線でのみ語られる。


これをそのまま読んでいたら、ある2つのことに対する描写が映画での印象とはかなり違うことに気づきました。
「2つのこと」とは主人公の父親の存在感と、ハンナの具体性です。
映画ではほとんど背景と化していた父親が、原作ではかなり特殊な存在として描かれている。息子(主人公)が「情景」でなく「言葉」で生きているようなのは、この父親から受け継いだものなのかも、という描写がある(この父親は哲学者ですし)。
その存在はそれだけでハンナの秘密を責め苛む。圧倒的な言葉を持つひと、として厳然とあるというだけで。


ハンナの描写に関してはかなり受ける印象が違う。
小説の中のハンナは主人公の憧れフィルターがかかって見える、「美しき年上の女性」です。
神秘的で大人で優雅で、どこか遠い夢の中にあるように輪郭がソフトフォーカスになっている。
ところが、映画の中でのハンナは見るからに20歳以上年の離れた疲れた中年女なのね。
皺が目立ち、体はユルみ、生活に疲れて苛立っている。そういうビジュアルが、バン!と目の前に立ちはだかるわけだ。
萎える。
同じ中年女として、かなりキツイ。
少年はういういしくてきれいなのに、女は汚れて古びている。
輝かしいであろう未来が待つ少年に比して、女は過去をひたすら隠し未来さえも閉ざして生きている。
少年には言葉があり、ゆえに思考があるけれど、女にはそれがなく、身のまわりに起こる事象が現象として過ぎてゆく。
両者の間にまたがるそれら圧倒的な差異に、打ちのめされる。
これで恋が成り立つの?と。
成り立つことに驚愕する。
それを成り立たせてしまう少年のなんと無邪気で不可解なことか。


その無邪気で不可解な少年を演じていたのが、ドイツの新進俳優デヴィッド・クロスなんですが…
このデヴィッド君が信じられないくらいステキなのです!
この映画、ケイト・ウィンスレット(これでアカデミー賞受賞)は言わずもがなですが、デヴィッド君の素晴らしさがなければどうにもならないってなくらい、深く入り込んだ演技をしています。
可愛らしく、ういういしく、見目麗しく、凛々しく、センシティブな、少年とオトナの間の微妙な時期にある男の子の素晴らしい要素をギュッと濃縮して抱えてる。
ああ、私が15歳だったら夢中になっちゃったかもなぁ。
ホントにチャーミングで、ちょっとした表情や仕草にも見惚れちゃう。信じられないくらい可愛い。



日本ではまだこの映画でしかデヴィッド君を見ることはできません。これからもどんだけ見られるかわかんない。ドイツの俳優さんだからね…
ていうか、たぶんこの役だったから魅力的に見えるのかもしれない。これで満足しといた方が無難そうではある(^^;;)。


とはいえ、彼はまだ10代の男の子です。
彼を見てトキメクのは、感覚だけ15歳に戻った私であって、現実の(アラフォーの)私ではない。
実年齢でこんな「坊や」に恋をするのはいくらなんでもムリです。
その「ムリ」がここでは現実として描かれているから、ものすごく理不尽で複雑な気分になるんですよね。
私には息子がいるから、母親の目線もどうしても入ってくる。なので、愛し慈しんで育ててきた大切な息子を、同年代の女が奪ってゆくなんてのは許し難い。ありえない罪深い行為だと感じます。
でも、女性でもあるから若い男の子に惹かれてしまう中年女の気持ちもわかる。
わかるけれども、個人的には惹かれる以上に自分を惨めに思ってしまうだろうからやはり恋には至らないのではないかなーと思ったり。う〜ん(汗)。結局、よくわからない。
恋とはなんぞや?
ふと、自分がまだ幼くて恋を知らない少女なんじゃないかと思えたりして(爆)。



追記


ところで、大人になった少年をレイフ・ファインズが演じているのですが、これ、個人的にはアチャーでした。
だって、レイフはすでに私の中ではガチでヴォルデモート卿なんだもぅん。どうしてもそのイメージが消えなくて。申し訳ない(汗)。だって強烈…
そういえば映画の予告編でハリポタ新作のが流れました。
え!あと2週間ですよーー公開まで。いきなり気づいてあわわわわ〜〜。
久しぶりにちらっとルピ先生の声とお姿に触れました!今回、前夜祭りができなくてなんだか損した気分ですが…公開までにはハリポタモードになれるようにしたいと思います。
んもう、2年も開けるからこんなことになるんだってばよ(怒)。