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屋上でトランジスタラジオを聴いていた頃


清志郎のことを書くとどうしても思い出話になるのがなんだかイヤで、このまま触れずにいようかと思ったのだけど、なんだかそれも決まりが悪く・・・それならばどっぷりと思い出話をしてみようかという気になりました。もうこんなこと書く機会はないだろうし。


私がRCサクセションに夢中になったのは高校1年生の時です。
ぬるま湯のように平和な地方都市の女子校の屋上で、私はRCの名曲「トランジスタラジオ」の世界に浸るのが好きでした。
授業をサボって、屋上に寝転んで、空を見ながらラジオを聴く。青い空に飛行機雲。眠くなるようになんにもない午後・・・
ラジオが聴きたかったわけじゃない。
私は、清志郎と同じことをしている、ということにドキドキしていた。


仲間が5人集まって、高1の秋にバンドを組んだ。
私はボーカル。
生まれて初めて立ったステージは文化祭で、その時にやった曲の中に「雨上がりの夜空に」を入れた。
清志郎みたいに化粧をして、髪を立てて歌った。
あの曲の難しさは今でもよく覚えてる。冷や汗が出るくらい音が取れないんだよね・・・。ヤケクソでやったけれど妙にウケた。
練習スタジオからの帰り道、よくバンド仲間と土手に座ってたわいない話に興じた。
川面に色とりどりの街の灯が輝いて、まるで宝石箱をひっくりかえしたみたいに綺麗で・・・あの風景は格別に好きだった。
ドラムとギターは「将来はミュージシャンになる」なんて夢みたいな話をいつもしていた。
ドラムは浜田省吾が好きな熱い奴。ギターはチャボが大好きでギターの弾き方やビジュアルまでマネていた。パーマヘアにスリムな黒いジーンズを履いて、長いストラップでギターを弾いた。
キーボードは自分のシュミも将来の夢も何も語らず、ひたすらファッションの話をしているようなオシャレな子。「エスパドリュー」という言葉を初めて知ったのも彼女の話からだった。
ベーシストは実はオフコースが好きなのに、人前ではRCのファンのフリしていた。「だってその方がセンスイイって思われるからね」と。でも実際は、オフコースのライブビデオの「言葉にできない」で、必ず泣いた。私はいつもそれを見て笑ってた。


私は断然清志郎が好きだった。
ノートの隅にはいつも清志郎の似顔絵を描いてた。栞に描いて配ったものは今でも大事に持っている。
雑誌に記事が出てると切り抜いて保存した。もちろん、RCの曲はいつだって隣にあった。RCを聴いたことがない、という子には録音したテープを配って布教した。


でも、そんな奴、学校には私以外誰もいなかった。
そう。あの頃、RCを聴いてる奴なんて、ほんっとにいなかった。私の周りでは。
田舎のダサい女子校ですからね、都会のムーブメントとは違うだろうけれど・・・RCは決して「一般的」ではなかった。
だから、今回の訃報で世の中がこんなに動揺したことに、私は動揺してしまいました。
突然、清志郎がものすごく偉大でカリスマ的な大スターになってしまった気がして。
・・・いや、もちろん偉大でカリスマ的な大スターなんだけどさ、それでも今まで私の中にいた清志郎はちっともエラくはなかったし、反体制的だったし、万人受けする存在ではなかったハズだったんですよ。授業をサボって屋上でラジオを聴いてるようなヤツが聴く音楽だと思ってた。


とはいえ、私がRCを格別に好きだったのは高校を卒業するまでの3年間でしかなく、でもRCはその後もずっと活動をしていたわけだから私はRCについて何かを知っている、というわけでもないのかもしれません。
二十歳を過ぎたら聴かなくなったし・・・到底ファンとは言えない。
私は現在進行形でRCを聴き続けているファンではないのです。
病気の報には心配もしたし、復活ライブをやったことにもホッとしたけれど、それは昔馴染みの近況報告のようなもので、アーティストとしての清志郎の現在を、私は何も知らない。
でも、こうして「何かを知っているわけではないし・・・」と、かつてファンであったことさえ否定し及び腰になってしまってはあの頃の私と清志郎との蜜月はなんだったか?って話になる。それはちとツライ。


ずっとファンでいて見守り続けなかったことを知ったら、清志郎はなんて言うだろう?
熱烈なファンで継続してライブに通っている人と、人生の一時期に愛し通り過ぎてゆく人とは、「価値」が違うのだろうか?たぶん、違うんだろうな。
・・・なんて。
そんな妙なことまで考えてしまい、考えてしまうと何を語るにも虚しくなる。


最も感受性が強かった高校時代に、私の心を震わせ、一つの世界観を与えてくれたのは清志郎だった。
それは絶対に揺るがない。
でも、それはあまりに個人的なことで、RCというバンドの実質には関係ないことかもしれない。
ミュージシャンとの距離感というものは、100人いれば100通りある。
私には私だけの思いがある。
その思いを誰かと共有するのは、私にはたぶん、永遠にムリだ。


ものすごくたくさんのファンが最後のお別れに行ったようだけれど、私は葬儀の列に並ぼうという気持ちにはなりません。
清志郎がもはやいないということに対する実感もほとんどない。
ただ、訃報を知った日からずっと、あの日の屋上の空の青さを思い出しています。17歳の私を、フト思い出したりします。
音の拾いにくいトランジスタラジオの耳鳴りのような雑音と、故郷の乾いた風と、仲間の笑顔と、いつもそばにいてくれた清志郎の歌声と・・・
それはもう、戻らない私の青春の原風景です。
私にとって清志郎は、とうの昔に戻らない場所にいたということかもしれません。
あるいは、昔からそばにあったのはその音楽だけで、それは今でも変わらずにあるのだし・・・と、どこか安心しているのかも。


清志郎。どうぞ安らかに。
青春の日々を、ありがとう。