憧れの家の焼失


今日のこのニュース、ものすごいショックでした・・・


「トトロの住む家」全焼 放火の疑いも 東京・杉並


この家の存在を知ったのは宮崎駿先生の「トトロの住む家」という本です。
実際のお宅を拝見したことはありません。
でも、いつか訪ねてみたいと憧れていました。
もうかなわなくなってしまいましたが・・・。


本の中に紹介されているこのお宅の様子は、それこそ憧れてやまない古き良き時代の瀟洒な家そのものです。
植物でいっぱいのお庭も、木造の窓枠も、ガラスの窓も、暖かく優しく、懐かしい。
本にはお宅の内部の写真も少し載っているのですが、これがまたとても落ち着く文化的香りに満ちたお部屋なのです。見ているだけで嬉しくなります。



宮崎先生はこのお宅を「良質の掌編小説のような家」と書いています。
ああ・・・目に浮かぶようです。音楽まで流れてきそう(ユーモレスクとか・・・そんなイメージの曲が)。
失われてしまったことが、ただただ残念です。


20年ほど前、鷺宮に住んでいた頃は、この家があった阿佐ヶ谷や荻窪辺りをよく散歩しました。
古い建物を見るのが好きだったから、東京の散歩は楽しいものでした。
当時、鷺宮の駅から少し都立家政に向かって歩いた高台に、とても素敵な洋館がありました。
どなたかが住んでいるのか空き家なのかよくわからなかったのですが、鬱蒼とした木々に囲まれた庭の中に建つ、木造の洋館です。
門の外から見えるそのお宅の外観を眺めていると、いろんな物語が浮かんできました。
心惹かれる古い建物には、物語力があるんですよね。いろんなことを想像しちゃう。
かなり前の話なので現存しているかどうかわかりませんが、もう一度見に行きたいな、と時々ふと思います。


「いつか、大きくなったらこんな家に住みたい」・・・という憧れの家というものは、いつだって胸の中にあります。
木戸のある小さな木造の家、同潤会のアパート、瀟洒な洋館、アールデコ様式の箱のような家、・・・etc,
「大きくなったら」ってw、もうこのトシで思うことではないんですけどね。こういう部分はいつまでも子どもです。
実際は街なかのマンション住まいで、窓をあければ大騒音と排気ガスがブワーっと入り込み、ベランダに出ることさえもままならない、バラの花一つ育てることも叶わない場所が私の家、です。
それでも私はここでシアワセに暮らしてる。
べつに家の形態なんてどうでもいいし、不動産に対する執着はまるでないし、「家」という器にこだわるよりもこだわりたいところはあるし(今のマンションは「孟母三遷」の精神で選んだのです)、ぶっちゃけ家にお金をかけるなんてナンセンス!とも思う。
でも、それと「憧れの家」の存在とは別なんですよね。次元が違うのです。
私の現状と、それとはあまり関連性が無い。
「せめてちょっと土いじりする環境があればなぁ・・・」という現実的欲求(これくらいの欲求はある。自治体から畑を借りることで解決できる、と踏んで去年は抽選に参加したくらい)とは、またこれ全然違うんですよ。
だから、この点に関して「いつか」は、永遠に来ない。来なくていいのです、きっと。
ゆえに、物語のように時を重ねる古い家を遠くから眺めることが楽しいのでしょう。