母から娘へと続いてゆくもの

最近、ボクちゃんが本好きで絵本を読む機会が多くなり、書店の絵本コーナーに日参するようになりました。
そこに、立ち読みしては号泣、という涙腺決壊本がありまして。本屋に足を運ぶたびに立ち読みしていたのですが、いいかげん買ったらどうか?てな気分になりましたので、先日ようやく買って帰りました。


小さかった赤ちゃんがやがて大きくなり、自立し、自分も親になって、やがて老いてゆく…という、3分もあれば読んでしまえるすごく単純なお話なんですが…
なんだかね、絵とか短い文章の中にこめられた深い想いがぐいぐい胸に迫ってきちゃうのですよ。絶妙に心を突いてくる。
極めつけは最後のページで、「いつか、私のことを思い出して」とママが言うんです。私はねー、ここが一番ヨワイ。この、種明かしみたいな終わり方がたまらなくイイのです。
つまりこの本は時間軸が真っ直ぐ未来に向かっているようでいて、実はどこにも進んでいないんですよ。途上にある。
まだ子どもはママの手の内にいるのです。同じベッドの中の、手を伸ばしたすぐそこに柔らかな髪の毛と小さな手がある。小さな娘の健やかな寝息が聞こえ、暖かないい匂いのする夜。幸せで幸せで、それだけで泣けてきそうな夜なのです。
そんな時、ママは想像の中で、いずれ子どもと離れてゆかなくてはいけない自分を思うのです。やがてこの手を離れ大きくなってゆく娘を感じるのです。そして時を経て自分と同じようにママになり、老いてゆく娘を想うのです。その姿をたぶん見られない自分のことも…。
そういった、これはものすごくセンチメンタルで甘やかな妄想なのです。
単に「子どもは成長してゆく」って話じゃない。
こういったことはたぶん子どもが小さい時だからこそ、より強く感じるのだろうし*1、そして、子どもが女の子ならでは、でもあります。
男の子に対しては、これとは違う甘やかさがある。これはある種さらに強烈な気がします(笑)。いずれそんな本が出たらぜひ読んでみたいなぁ。この、言葉にできない気持ちを、どう描いてくれるのだろうか興味津々!


これは絵本コーナーに売ってはいますが、子ども向きの本ではなく、完全にママ向けの本です。
子どもが読んでも「なにこれ?」でしょうね。わかるわけないんですよ。
子どもにはわからない。だからこそ、イイのです。
いつか、うんとうんとあとになって、もしかして私がこの世にいなくなってから、子どもたちには今の私のこの気持ちがわかるのかもしれないのだなぁと思うと、なんだかホロホロとせつなくて極上のセンチメンタルを味わえるのです。
宝箱は、後で開けるのです。そう簡単には開かないのw
時を超えて残ってゆく想いがあることに気づいた時、いつか遠い未来に自分の埋めた宝箱を開けてくれる存在があることを想う時、人は不思議な暖かさに満たされるのかもしれません。

*1:子どもが成長するにしたがって母親も成長しますから、成人になった娘に対して赤ちゃんのときと同じ心理での接し方はしないでしょう?そういう意味で